ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

ダカーポの特集「団塊の世代をめぐる攻防戦」

ダカーポが今週号で「団塊の世代をめぐる攻防戦、オレたちはそんなに悪いのか!」という特集を組んでいます。団塊世代の端っこ(25年3月生まれなので)として、最近の団塊バッシングは多少気になります。で、ダカーポを読んでみた。
ダカーポに限らずこういうテーマの記事すべてにわたって言えることですが、編集部も発言者もみな、「団塊の世代」をそのまま「全共闘世代」だと定義しているようです。それって正しいですか。
もうひとつ、「全共闘」を「世代」でくくって語る場合も、たいがいそれは「全共闘活動家」のことのようなのですね。インタビューを受けている立松和平、弘兼憲史、和田秀樹、保坂展人、みな同じ。でも、この世代の中のごく少数派であった「全共闘活動家」で世代を代表させてしまっていいでしょうか。
わたしの記憶では、全共闘運動がもっとも活発だった1968年という年は、団塊の世代だけではなく、中学生から30歳前後まで、多くのひとがけっこう盛り上がって時代を楽しんでいたのです。68年を生きたのは、団塊の世代だけではありません。また、68年という年の特異性を抜きに考えれば、団塊の世代はひとくくりにできるほど単純に規定できるマッスでもなかったと思うのですね。あの当時、大学に進学しない同世代も75%はいたのだし。
また、団塊の世代のいまが語られるとき、それは必ず「ホワイトカラーの社会人」ということも気になります。ほかの業種についている団塊の世代は、傾向がちがいますか? だとしたら、そもそも団塊の世代というくくりが成立しないはずですが。
もうひとつ、団塊の世代が語られるとき、そこではこの世代の人口の半分を占める女性の顔が想像できないことも気になります。こういう記事では、はっきり言って、女性はまったく無視されている。生き方の例が提示されることはまずありません。これってわたしだけの感じ方でしょうか。
おたく世代がけっして特権的ではないように、団塊の世代も、ひとまとめに攻撃できるほど特別な存在じゃない、と思うのです(統計上は比較対照する意味もあるでしょうが)。世代論って、ときどき血液型性格判断と同じように、いかがわしく感じます。
[PR]
by sasakijo | 2004-05-24 21:50 | 汎用ジャンル