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佐々木譲の散歩地図

ニューヨーク日記6

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写真は、ビレッジボイスに載ったサイン会の案内。「日本のトム・クランシー」とは、わたしが名乗ったわけではありません。ボイスのライターさんのつけた惹句です。

7月16日
朝10時半、いまNYUに近いスターバックスでこの一行を打ち始めました(このひとことを書きたくて、わたしはけっこうな重さのPCを、コンパクト親指シフト・キーボードと一緒に持ってきたのでした)。
店内で勝手に電源を使っていいのかどうか心配だったので、念のために確認してみると、そのためのセクションがあるから好きなところで使って、とのこと。無料です。

関係各位にたいせつなお願い。
メールサーバが満杯という問題は、ここではどうしようもないので、重要案件については、この書き込みのコメント欄に書いていただけますか。きょうを含め、あと丸三日、一日二回、この方式でメールをチェックします。

関係各位に、お詫び。
ええと、佐々木は自分の予定のことで、またポカをやりました。帰国の日時を間違えてご連絡していました。日付変更線があるので、帰路の成田着は、20日でしたね。仕事場戻りは21日になります。ゲラの最終チェック、かなり切羽つまっている場合は、20日の東京で可能ですが。

ここまで書いて、喫茶店でもそこそこ原稿は書けるのだなと思えますね。すがやさまの日記にも、ときどき喫茶店に行って、バッテリーがなくなるまで原稿を書くという記述があります。わたしはモバイルを持ったのがやっと1年前ですから、これまでそういう体験がなかった。喫茶店やレストランで仕事をするとしても、プロット組みとか、せいぜいゲラの直しぐらい。でも、書く環境を変えることに意味があるとき、喫茶店は使えるぞ。日本では漫画喫茶以外では電源を使えないのではないかと思うので、大容量のバッテリーが必要になりますが。

これで、もっと旅行の多い生活になると、そのときこそ、あらためてAir-Hが必要になるかもしれません。

いまは完全に仕事場にこもりきりの執筆生活ですが、一時期、移動しながら書く、書きながら移動する、という生活に憧れ、多少は試したこともあります。
最初に、自分にその志向があると気づいたのは、89年11月のバルト三国旅行のときでした。このときはエスクワイヤ日本版の仕事で、独立運動燃え盛るバルト三国に取材旅行したのでした。モスクワ経由で、エストニアのタリンに飛行機で入ったあと、移動はもっぱら列車でした。最後の取材地リトアニアのビリニュスを出るときも、モスクワまでの夜行列車。寝台車の中で、その旅行のあいだのメモをまとめ、一部原稿を書き出したとき、自分が不思議な幸福感に満たされたことを感じたものです。このような暮し(ジャーナリストの生活に近いものでしょう)が、自分は好きだぞと。このように、移動しつつ書き、書きながら移動する、という生活が続くなら歓迎する、と心底思ったものでした。

91年の秋、それが一部実現しました。二カ月間、アメリカを自動車旅行することになり、このとき、書きながらの旅、旅しながらの執筆、という生活を試したのです。ポータブルのワープロを持っていったのでした。現実に旅行の途中で、小説すばるに一本、短編小説を送って、現地でゲラ直しまでをやりました。旅行全体の成果は、『サンクスギビング・ママ』です。

あの時期、世の中にモバイルPCがあって、インターネットが使えたなら、あの旅行の様相もかなりちがったものであったことでしょう。

いま11時10分。スターバックスでの日記更新は、ここで切り上げます。
by sasakijo | 2004-07-17 02:55