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by sasakijo

『星の王子さま』のキーワード

『読書癖4』(池澤夏樹、みすず書房)
99年の刊行。持っているつもりでいたけれど、手に取ったら未読だったのであわてて買った。書評集。

求龍堂の『星の王子さまのはるかな旅』を取り上げた一篇がある。これは書評というよりは、『星の王子さま』論。池澤氏も『星の王子さま』を訳しているが、それはこの書評が書かれた後の05年。

ふと、最近、斉藤美奈子も『星の王子さま』の翻訳ラッシュを話題にし、訳を比較していたことを思い出した。
『文芸誤報』(斉藤美奈子、朝日新聞社、08年)。彼女はここで、岩波書店の内藤濯訳から、倉橋由美子訳、池澤夏樹訳など七冊の翻訳を比較して論じている。

じつはわたしも去年、あるサークルで『星の王子さま』の英語版をかなりみっちりと読むという体験をしている。ほぼ四十年ぶりの『星の王子さま』体験だった。四十年前には、当時の女子学生が熱狂するほどには面白く思えなかった童話(そのころだから当然内藤訳の日本語)が、去年突然「理解できた」。こういう話だったのかと納得できた。

いまWikipediaを読んでみると、すでにその解釈は、82年に塚崎幹夫というひとが『星の王子さまの世界~読み方くらべへの招待』(中公新書)という論考で主張していることだという。いま、この新書もAmazonで注文。ただし、その主張は、一部の読者には強い反感をもたれているらしい。

塚崎幹夫はこの作品を、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であると見ているのだという。わたしの読み方では、この作品は、ファンタジーの様式を借りた、かなり過激な反ファシズム文書。

池澤氏も書いているように、この作品でもっとも解釈が難しいのは、王子さまと、故郷の星の一輪のバラとの関係である。バラとは何の暗喩なのか? 王子さまとバラとの関係は、いったい何なのか? 単に恋人、単に恋愛ではあるまいとは、ほかのエピソードのトーンからも推測がつく。

本作品中でバラと対比される植物バオバブの木についての記述から、逆にバラが何であるかを考えてみるとよい。
バオバブの木は「芽のうちはバラによく似ているが、油断して摘まずにいると、たちまちはびこって地表を覆い尽くし、最後にはその惑星を爆発させてしまう」という、災厄のような植物である。

この記述のあるページの挿絵は、三本のバオバブの巨木が、小さな惑星をまさに内側から破壊し、爆発させようとしているところ。

作品が刊行されたのは、サン=テグジュペリがアメリカに亡命していた時期(43年4月)であり、彼がその後故国に戻り、ドイツ空軍との戦いの中で死んだことを考えれば、作品にこめられた政治的メッセージを無視することは不可能だ。バオバブの木とはすなわちファシズムであり、惑星を押し潰そうとしている三本のバオバブの木は、国際社会を破壊しようとしている三国同盟と見てよい。

逆にバラは、その芽のうちはファシズムにも似ているし、高慢で身勝手で、育てるためにはたいへんな繊細さが必要なものだが、しかしひとを幸福にしてくれる美しい何か、である。とくに王子さまの惑星のその一輪のバラは、名前を持った(池澤氏の言葉を借りれば、定冠詞的関係となる)特定の誰か、ということだ。つまり(不定冠詞の)バラとはデモクラシーであり、そして王子の惑星の一輪のバラは、民主的な社会を構成する具体的なひとりの市民ということになる。

ひとはときどき、貴様のような女とはもう会いたくもない、おれはどこかよその惑星に行ってしまうぞ、と叫びたくもなる(千葉知事選挙の結果などに、バラのお馬鹿っぷりを見てしまう感受性はけっしておかしくはない)。しかしそれでもあんたの惑星にいるあんたのバラは、ファシズムよりはずっとましな、大切な存在ではないか、大事にしろと、『星の王子さま』は小さな声で言っているのだ。物語のラストを想えば、そのバラはフランスそのものであるという解釈も可能だろう。


池澤氏も、斉藤氏も、『星の王子さま』の政治的メッセージには言及していない。ま、言葉にしてしまえば、今日では野暮ったくも受け取られるメッセージであることはたしかであるし。
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by sasakijo | 2009-04-04 20:58 | 本の話題