ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

物語としての「贖罪」

昨日は取材で、札響定期演奏会はパス。
きょうはDVDをまとめて鑑賞。

『つぐない』(監督ジョー・ライト)
原作(イアン・マキューアン『贖罪』新潮社)は読んでいない。
でも評判とレビューから、映画の語り口と構成とが気になっていた。

十三歳の想像力豊かな文学少女が、自分を取りまく大人の世界の真実をうまく把握できないまま、虚言(自分が作った物語)により姉とその恋人との関係を破壊してしまう。第一部、少女の目に映る世界と、大人たちが生きている世界とを対比させた描き方が巧い。第二部も、大河ラブロマンスふうの正攻法の演出。

しかし、この作品がメタフィクションであると明かされる第三部で、観客は当然ながらせっかくの感動の処理に戸惑う。

第二部の終わり近く、これがラストであるなら通俗すぎる、と思える「結末」がくる。じつはこれも妹(長じて作家となっていた)が作った物語。虚構の結末をつけたのは被害者である姉たちふたりを救済するため、とラストで弁明されるが、映像はこの言葉を裏切っている。姉とその恋人は、きわめて意地悪に描写されるのだ(「贖罪」の表現のはずのこの嘘の中でも、姉はbitchであり、豚小屋の上に住んでいる)。

あるいはこの作品は、物語を作ることで現実に悲惨をもたらし、そのことへの贖罪もまたべつの身勝手な物語になるしかない小説家の業についての小説(の映像化)、とも言えるのかな。原作をいま注文した。

ほかにネット・レンタルで借りていた『CSI・NY』を第一話から四話まで観る。これは資料としての鑑賞という意味合いのほうが強いか。
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by sasakijo | 2009-06-13 23:29 | 日記