ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

トムラウシ遭難事件を聞いて

高校時代、.わたしは山岳部に入っていた。
トムラウシは憧れの山だったけれど、顧問は部の山行としては絶対にトムラウシ登山を許可しなかった。

代わりにわたしたちが夏に二度登ったのが、裏大雪のニペソツ山。ここもアプローチの長い険しい山だったけれど、トムラウシはそのニペソツよりもずっと「危ない」山だということだ。

万が一の場合の回避の手段、エスケープのルートがないのだ。数日間、想定外のビバークとなってもよいだけの装備と食料を担ぎ上げねばならない。当時の登山用品はどれも重かったから、その負担は現在の比ではない。

何度か単独行も考えた。
でも当時、山麓から直登するのも8時間。表大雪からの縦走では、3泊4日の行程。しかも縦走コースは濃霧のとき道に迷いやすい(20年ぐらいまえのSOS事件は、たぶんそのせい)。断念した。

でも、社会人になってから、一度ひとりでトムラウシを目指した。黒岳ロープウェイができた直後だ。これで行程が一日短縮できると、層雲峡を出発、その日のうちに白雲岳避難小屋まで歩いた。

表大雪からトムラウシへのルートは、アップダウンの少ない尾根道。たしか白雲岳避難小屋からトムラウシのヒサゴ沼避難小屋まで8時間の行程。

朝、出発したのはいいが、視界が50メートル以下のガスだった。広い尾根道なので、こういう場合はケルン伝いにゆくしかないが、次のケルンが確認できない。たぶん100メートルおきぐらいにはあったはずだけれど、ケルン伝いも不可能なのだ。

背後のケルンを見失わない程度まで進んで、先のケルンを探す。これを少し繰り返したけれど、ほかにすれちがう登山者もない。自分は登山道上にいる、という確信も持てなくなる。

冷や汗をかきながらガスが晴れるのを待ったが、けっきょく中止の決断。白雲岳避難小屋に引き返し、旭岳から天人峡温泉へと下りたのだった。

その後ヘビーな登山から撤退したわたしにとって、トムラウシはいまだに遙かなる憧れの山だ。


またもうひとつ思い出したこと。ガイドの判断、ということで。

2000年の9月初旬、ワイオミングの馬の牧場に滞在したことがある。このとき牧場オーナー(ガイド)に、馬での一泊トレッキングをお願いした。滞在客の中のイギリス人女性もひとり、同じリクエストを出したので、オーナーはわたしたちをビッグホーン山脈の山中に連れていってくれた。

事前に装備のチェックがあった。わたしは夏山登山用の格好。ガイドはそれでは不十分と、オイルびきのロングコートを渡してくれた。

三人がそれぞれ馬に乗り、さらに荷を運ぶ馬が一頭。山に入ると雪が降り出し、どんどん積もってゆく。ビッグホーン山脈の初雪の日にあたったのだ。雪の中を登りながら、自分は遭難するのではないか、いますでに遭難しているのではないかと恐怖に震えた。胃が痛んだ。

野営の予定地まできたときは、積雪は5センチほどになっていた。ガイドは、野営の中止を告げた。野営道具の一切はその場に放棄だ。翌年まで回収には来れないという。

雪の中を下山して、小さな谷に出た。馬たちが耳を立てて脚を止めた。ガイドが言った。「匂い、わかりますか?」 いいえ、と答えると、ガイドは言った。「エルクです。すぐ近くにいる」

次の瞬間だ。雪の向こう、50メートルほどの距離のところにエルクの群れが現れた。数10頭いる。わたしたちが止まって注視している中、エルクの群れは音も立てないままにその小さな谷を横切って、また雪の中に消えていった。ほんのわずかの時間のことで、夢を見ていたかのような気分だった。

少しずつ雪が小降りになり、やがて林道に出た。平坦地にテントがふた張りあって、ボウガンを持ったハンターたちがいた。ガイドの知り合いだった。わたしたちはそこで熱いコーヒーをごちそうになった。ようやく、自分は無事に人里に帰り着いたのだと実感できた。

わたしの「シティ・スリッカー」体験。


それにしても、アミューズ・トラベルという会社は、ヒサゴ沼避難小屋にアルバイト社員を常駐させ、自分のところのツアー客のために場所取りしているのだという。客用のシュラフ・ザックも小屋に保管とか。避難小屋をそんなふうに使ってはならないだろうと思うが。
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by sasakijo | 2009-07-20 13:07 | 日記