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佐々木譲の散歩地図

弘前劇場の新作

先日、弘前劇場『アグリカルチャー』を観た。作・演出、長谷川孝治。

青森版『桜の園』と書いたら失礼になるかな。

青森のとあるリンゴ農家の一族の物語。舞台はその農家の土間。その家は大学に隣接しており、下宿人も置いている。学生や大学関係者もその家の土間に気軽に現れる。その登場人物たちの津軽弁をまじえた会話を楽しんでいるうちに、その一家には秘密が、封印された悲劇が、あるとわかってくる。

家の外には樹齢百二十年のリンゴの老木があることが繰り返し言及される。観客はやがてそのリンゴの老木は、家父長的権威の象徴であり、一家の悲劇の「現場」である、と理解する。

観客が一家の秘密と悲劇のおおよその事情を察したラスト近く、舞台の外からはチェーンソーの音が響いてくる。薪割りの得意な長男が、リンゴの老木を切り倒したのだ。チェーンソーの響きは一家の世代交代を告げる音であり、古いイエが死んだことの暗喩だ。

ラスト、大テーブルを囲んで、登場人物たちができたばかりのカレーライスを食べ始める。そこにはすでに父親の姿はなく、長男は結婚、その若い妻は身ごもっている。血縁ではない者たちをも含めた、大家族が出現している。絆のありようを変化させた、新しい共同性の誕生。

タイトルから、農業と農村礼賛のメッセージ性の強い作品だろうかとも予想していたのだけれど、ちがった。また、長谷川孝治は農業と農家(と、たぶん農村社会)とを、厳格に切り離して見つめている。青森「土着」のリンゴ農家の物語ではあるが、作品全体は「養蜂家=移動する農業者」の視点から対象化されているという構造なのだ。

最後に出現する「大家族」には、「地域劇団」の理想も託されているのではないかと思う。

一家の長女は一度東京に出て教師と結婚し、その夫(休職中)と共に実家に帰ってきているという設定。この夫婦の着ているいかにも軽薄な素人漫才用ペア・セーターが、ラストでは農作業用ツナギに変わる。これを、生活に立脚した表現、についての確信の宣言、と観るのは深読みか?
by sasakijo | 2009-12-06 22:37 | 日記