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by sasakijo

弘前劇場『三日月堂書店』を観る

弘前劇場『三日月堂書店』を観る。再演。

弘前劇場を観るのも四本目となると、このところいつも先生役(高校教師であったり、大学の講師であったり)で出てくる柴山大樹が楽しみとなる。本作でも柴山大樹はいつもの役どころ。弘前劇場ファンにはうれしい。

この作品、古本屋が舞台ではあるけれど、そこは古い映画館を改装した店だ。つまり二重の過去が集積された空間。鮮度を失った情報の残骸がある場所。そこを生活の拠点とすることは、ある種の断念の表明ということでもある。店主は、善良ではあるが生活力のない中年男性。同時代的生き方を静かに、しかし徹底して拒絶している。

彼が扱う和文タイプライターは、時代に取り残された想いの暗喩だ。彼が(極端に訥弁な人間のように)ひと文字ずつ打つその想いを受け止めてくれる者は、もうこの時代にはいない。

その男のかたわらに、「安定」を受け入れることができない女がいる。同じタイプの男も出てくる。

彼らはまた、周囲の人間の善意や善良さも、そのまま素直には受け入れることができない。選択肢があれば、必ず不安定、もしくは危険、転落、裏切りのほうを選び取ってしまう種類のひとたち。悪意があるわけではない。むしろ、何かの依存症のようにも見えるひとびと。わたしたちの血族の周辺を冷静に思い返せば、必ずこの手のひとがいる。特異すぎるひとびとというわけではない。

お芝居は最後に古書店主の劇的な成熟、変貌を見せて終わる。「安定を拒む」ひとたちにいいように振り回され、ただ翻弄されるのではなく、彼らを理解して対応する、たくましい大人への変容。

依存症的累犯者である男が最後にすするソーメンは、思いがけない敗北の味がしているはずだ。「それ」は、そのタイミングで起こるべきではなかったことなのだから。

前の公演『アグリカルチャー』の感想同様、これはわたしの勝手な解釈。まったく読み違えている可能性も大だ。
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by sasakijo | 2010-01-31 18:49 | 日記