ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

カテゴリ:日記( 113 )

写実表現の最高水準

『存在の美学』という美術展を観た。
野田弘志とその愛弟子の永山優子、廣戸絵美の同人展。正式名称は、「伊達市噴火湾文化研究所同人展」。伊達市の、だて歴史の杜カルチャーセンターで。招待作家は石黒賢一郎、小尾修、塩谷亮、西房浩二、水野暁の五人。

野田弘志は北海道壮瞥町にアトリエを持ち、伊達市で写実絵画の教室を開催している。永山優子はいまは野田の助手ということになるのかな。教室の名は「野田・永山塾」だ。

2007年に、北海道立近代美術館が、野田弘志の大規模な特集展を開催した。このときわたしは初めて、ロープを描いたシリーズを観たのだけれど、ある意味写実絵画の極北を目指している、とも言うべきあのシリーズは今回は出展されていない。動物の骨を描いたものもなかったな。伊達市近辺の風景画が2点、白人女性像が1点。

展示作品は少ないながら、招待作を含めて、日本の写実絵画の最高の水準を観たという想いにさせてくれる美術展だ。長い時間向き合っていたい作品ばかり。とくに石黒賢一郎の手術室を描いた作品は刺激的だった。

展示を観たあと、野田・永山塾のある伊達市噴火湾文化研究所にも行ってみた。ここには野田弘志絵画コレクション・ルームがあり、事実上のミニ個人美術館となっている(ここにも、ロープのシリーズはなかった)。

係のひとに案内してもらって、子供向けの塾と大人向けの塾のふたつのアトリエも見学。さらに野田弘志のモチーフ保管室も見せてもらったことで、野田弘志の創作の秘密の一端に触れた想いだ。野田弘志の再現アトリエなどもあるといいのに、と欲張りなことも考えてしまった。

7月20日まで。伊達市だて歴史の杜カルチャーセンター1階ハーバーホール、無料。
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by sasakijo | 2010-07-15 09:17 | 日記

集合ラッパの意味

ブログを更新すると、暇だろうという判断の根拠にされた。なのでしばらく更新のモチベーションが下がっていたのだけど、また少しずつ書いて行こう。相変わらず本業以外の雑用と社交とに割く時間はないが。


『戦場のレクイエム』(フォン・シャオガン)を観た。2007年の中国映画。
英語タイトルは『ASSEMBLY』、中国語題は『集結號』。

国共内戦を素材にした戦争映画だ。聞こえなかった集合ラッパの音をめぐる物語。撤退の時期を誤って部下を全員戦死させた、というトラウマにとりつかれた、中国人民解放軍の下級士官の苦悩と再生の姿が描かれる。

これ以前のフォン・シャオガンの作風から微妙にはずれており、「演技論」もテーマではない。でも、職人監督としての技量と引き出しの広さを見せたというところだろうか。実話に基づいているようだ。

戦闘シーンは、スピルバーグ『プライベート・ライアン』を思わせる迫力と生々しさ。このところ戦争映画はあまり観ていないが、『プライベート・ライアン』はもう戦争映画の戦闘シーンを撮る際のスタンダードになっているのかな。

時代は48年。華東の戦線。国民党軍の進撃を止めるため、ある中隊が最前線に投入された。戦闘途中、部下たちは撤退を命じる集合ラッパがあったと報告する。主人公の中隊長は聞いていない。彼はあわや反乱というところをまとめて、第二波の攻撃を迎え撃つ。戦死した部下は廃坑内に収容しつつ。

果敢な戦闘の果て、部下たちは全員戦死、中隊長ひとりが生き残った。彼は国民党軍の軍服を着ているところを救出されたのだった。内戦の混乱のさなかで、部隊編成の記録はなく、彼が人民解放軍所属であったことを証明するものはない。行き場のない彼は朝鮮戦争に志願。51年冬の戦闘で負傷し、華東に帰る。

彼はそこで自分の部下たちが「失踪」扱いされていることを知る。戦死したと認められていないのだ。彼は戦死した部下たちも烈士(革命の英雄)の扱いを受けるよう、戦闘地域で遺体の発掘に残りの生涯を賭けようとする。数年後にやっと遺体が見つかり、中隊の兵士たちは全員が「烈士」として顕彰されることになった。

映画の最後に、問題の「集合ラッパ」が初めて吹かれる。音として、映画の中で表現される。「集結號」がじっさいにあったのかどうかという謎も明らかになる。このとき「集合」のもうひとつの意味に思い至って、わたしは少し涙した。

軍へのリスペクトはあるが、フォン・シャオガンは中国共産党を突き放して描く。最初に出てくるふたりの若い共産党員は初々しい教条主義者であり、二度目に毛沢東の肖像画を背景にして登場する共産党員は権力そのものである。中国の検閲機関も寛大になっているのだね。
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by sasakijo | 2010-07-12 11:06 | 日記

庄司紗矢香を聴いた

札幌交響楽団定期演奏会。
庄司紗矢香のモーツァルト、バイオリン協奏曲第5番が素晴らしかった。

開演前に指揮の高関健がMCで、前夜の彼女を絶賛して言った。
「このぐらいの名曲になると、弾けば必ず誰かの演奏に似てしまうものだけど、庄司さんは誰にも似ていません」

じっさいこのポピュラーな曲を、こんなにも緊張感のある、知的な演奏で聴けるとは。終演後、ロビーの売店でCDを2枚購入。

プログラムの最初は、現代曲だった。柴田南雄『シンフォニア』(1960年)
こういうコンセプト重視の曲(というか、コンセプトだけで作られた曲)は、はたして生のオーケストラで聴くべきものなのか、疑問に思う。もしその時代、作曲家の前にマッキントッシュがあったなら、彼は直接その曲を作ってしまったのではないか。ただ、PCも作曲ソフトもない時代は、それをオーケストラのための譜面に起こさねばならなかっただけだろうと思う。
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by sasakijo | 2010-05-15 20:14 | 日記

ようやく真空管アンプ


とうとう真空管アンプを入れた。クラシックのアナログ・レコードを、よりいい音で聴こうと。

アナログ・レコードの音はよい、というのは、CDが登場したときから言われていたことだ。しかし、再生装置が高価なものになる。手軽に聴くなら、CDだった。

ところがこの十年くらいか、低予算でクラシックCDを聴くなら真空管アンプ、と、よく聞くようになった。いっときとちがい、安価な市販真空管アンプも多くなったのだ。

かたいっぽうで、そのCDを聴くという音楽の聴き方自体が、時代後れになりつつあるようだ。音楽は圧縮データをダウンロードしてMP3プレーヤーで聴くというのが、若い世代の一般的な音楽鑑賞スタイルになっている。

わたしはこのMP3プレーヤーで聴く、という方法にどうしてもなじめない。とくにイヤホンで聴くことが。音のよしあし以前に、集中できない(試したことはあるのだ)。

わたしにとって音楽を聴くとは、なによりコンサートに行くこと、であり、次善の策として、コンサート会場に近い音を再現できる機器で聴くことだ。

また本と同様で、好みの音楽については、集めたい、という気持ちが働く。蔵書が読書記録であると同時に自分の表現となるように、音楽の「記録」のライブラリーを豊かにしてゆくことは、音楽を聴くことと一体の喜びだ。ところがデータをダウンロードしてメモリーに蓄積することでは、その喜びはあまり感じられないのではないか。

自分の残り時間を考えると、いまさら新しい記録方式でライブラリーを作り直すのもむなしい。あと15年くらい再生機器がもつなら、わたしは古い記録方式のソフト・ライブラリーを古い技術で聴き続けるので十分だ。わたしにとって、そのことは心地よい。不便でも不都合でもない。

さいわいアナログ・レコードを真空管アンプで聴くことは、いまはけっしてハイエンド・オーディオマニアの贅沢すぎる趣味ではなくなっている。かつては手の出なかった音が、いまは手の届くところにある。

ごく少量ながら、復刻版ソフトのリリースも続いている。さらに今後は、クラシックのLPレコードを手放すひとが増えてくる。ソフト探しでもあまり苦労はしないですむだろう。

というわけで、真空管アンプでアナログ・レコードを聴く、ために環境を整えた次第。期待以上のいい音。正解だった。
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by sasakijo | 2010-05-02 18:34 | 日記
少し前に、ラフマニノフが1941年秋(日米開戦直前)のワシントンDCで自作交響曲を指揮した話を書いた。わたしが目にした範囲の資料では、その自作交響曲が何番であったかわからなかったとも。

日本アレンスキー協会の高橋健一郎さんから教えていただいた。3番の可能性が高いとのことだ。

3番は、一部の資料によれば41年の作曲だという(たとえばウィキペディア、ラフマニノフの作品紹介もそう記述)。しかし36年が正しいのだということが、判断の根拠のひとつ。

高橋さんが調べてくれた資料では、ラフマニノフは39年に4回(フィラデルフィア、NY)、41年の3月にはシカゴで2夜連続、3番を指揮しているという。というか、そのころラフマニノフは3番しか指揮していない。その流れであれば、41年秋のワシントンDCでも指揮したのは3番ではないか、とのことだった。

この件に触れた『ワシントン封印工作』が、この秋、文春文庫から復刊される。わたしは2番と記述してしまったので、ゲラの直しではここを3番としよう。
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by sasakijo | 2010-04-26 07:59 | 日記
昨日は推理作家協会賞の選考会。わたしは長編・連作短編部門の選考委員として出席。

候補作は
『粘膜蜥蜴』(飴村行、角川書店)
『身の上話』(佐藤正午、光文社)
『乱反射』(貫井徳郎、朝日新聞出版)
『贖罪』(湊かなえ、東京創元社)
『追想五断章』(米澤穂信、集英社)

三時間に及んだ議論のあと、二作授賞と決まった。
『粘膜蜥蜴』(飴村行)
『乱反射』(貫井徳郎)

わたしは佐藤正午『身の上話』をいちばんに推した。
佐藤正午は、日常生活とその揺らぎや小さな破綻を描くのがじつに巧い作家だと思う。本作も、「土手の柳」のような主体性のない女性が、意図しないままに自分の周囲に破綻を呼び寄せてゆく過程を描く。謎の語り口も魅力的だ。

主人公に関わる悪魔的な青年の造形に、わたしは北九州一家監禁事件のMを連想した。日常のほころびの中に、静かに、まったく常識人の顔で侵入してくる、この「絶対悪」の描写が怖い。

でも選考会では、推理作家協会賞授賞作としてはミステリ味が薄い、という意見が多数派だった。たしかに、ストレート・ノベルとしても、高く評価されてよい作品だとは思うが。

『粘膜蜥蜴』は、わたしは次点。
初めて読む種類の小説で、出だしではかなり戸惑った。でも、ラストで思いもかけない「愛」と「倫理」の物語として決着したことに呆然。いわば「妄想全開」で書かれた作品と見えたこの作品は、計算された構成と記述とを持っていたのだ。

事実上「筆力のあるアマチュアが書いた」と言ってよい、つっこみどころの多い作品だ。わたしは強く推す選考委員に、理解できなかった部分の解釈を請うたのだけど、その選考委員の言葉「この作品に整合性を求めることは無意味」。そう言われるとそうなのだが。
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by sasakijo | 2010-04-24 18:08 | 日記
札幌交響楽団定期演奏会の「フライング・ブラボー」に関して、楽団員さんと聴衆のおひとりがそれぞれ同じ感想を書いている。まったくあのブラボーは、せっかくの感動をぶち壊しにしてくれた。ご本人は、たぶんいい気なものなのだろうが。

http://caprisam.exblog.jp/
http://spitzekeigo.blog87.fc2.com/

砂川しげひささんも、たしか東京文化会館のフライング常習者についてエッセイで書いていた。楽団側と聴衆が企んで、最後にはこの人物を拉致してしまう、という過激な落ちのエッセイもあったような。

札響でもこういった会員に対して、なんらかの注意なり制裁をするということはできないものなのだろうか。

わたしはじっさいには聞いたことはないが、サントリー・ホールではプログラムよっては演奏前に、早すぎるブラボーを注意するアナウンスが入るらしい。子供じゃない、という反発が出るかな。


追記
いまためしに「札幌交響楽団」「24時間以内」という条件で検索してみたら、ざっと読んでも3人のひとが、こんどの定期演奏会のフライング・ブラボーについて書いていた。「キタラの聴衆は音楽の余韻を楽しむことを知らない」という痛烈な書き込みも。対処が必要なレベルまできているということなのだろう。
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by sasakijo | 2010-04-18 09:33 | 日記
ささくれだった気分を変えるために札幌に出て、札響の定期演奏会を聴く。

指揮は尾高忠明。
曲目は、まず三善晃の『交響三章』。
三善晃は尾高忠明の恩師だそうで、つまりこれは必ずしも顧客オリエンテッドな選曲ではなかったわけだ。

メインのプログラムは、ラフマニノフ交響曲第二番ホ短調。

『ワシントン封印工作』を書き出す前、ラフマニノフが1941年の秋(つまり太平洋戦争開戦の直前)、ワシントンDCで、自作交響曲を指揮しているという事実を知った。ただ、何番を指揮したのかがわからない。その部分の確認に時間を使うわけにもゆかなかったし、二番以外ではありえないだろうと、記録を発見できないまま「二番のコンサート」と書いた。

この作品の刊行時、共同通信のワシントン支局長だった田勢康弘さんと対談した。このとき、田勢さんが言った。
「あのときラフマニノフが何番を指揮したのか、わたしも気になっていたのですが調べきれなかったんです。二番だったんですね」

いいえ、記録を発見できないまま書いたのです、とは答えられなかった。いまなら、何らかの記録か判断が見つかるかもしれない。

ただ、一番は初演以外、ラフマニノフの存命中は演奏されることがなかったと言われているし(没年は1943)、三番はWikipediaでは1931年の作曲(本文中の記述)、1941年の作曲(曲目解説)とあり、後者が事実とすると、ラフマニノフはかなりの冒険をしたことになる。二番でまちがいないと思う。

もしかすると、1941年当時は第一番のことは完全に忘れられていて、その曲目についてはただ『ラフマニノフの交響曲』と記述されてそれで十分だったのかもしれない、といまふと思った。
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by sasakijo | 2010-03-20 00:02 | 日記
『東京R不動産2』(馬場正尊・安田洋平、太田出版)
『「新しい郊外」の家』(馬場正尊、太田出版)

書店の建築書のコーナーに並べて置いてあった。『東京R不動産2』は、奥付では今年3月19日初版。『「新しい郊外」の家』は、09年1月25日初版。

前作『東京R不動産』は、面白い建築書だった。東京のリノベーション物件を紹介したものだが、東京にはこれほどに面白い建築もしくは住戸があって、それがじっさいに賃貸されるか売買され、そこを改装して住むひとがいるのだ、という事実に、驚かされたものだ。Casa Brutusあたりがときたま特集していたにせよ、だ。

『東京R不動産2』はその続編。ただし取り上げる範囲は拡大して、房総や湘南そのほか地方都市の物件と住人も紹介されている。

『「新しい郊外」の家』は、その東京R不動産のディレクター(建築士)である馬場正尊が、房総に戸建て別荘を新築するまでのドキュメンタリー。どんな住宅に住んだか、という視点からの「ある家族史」でもある(週刊文春にも似たコンセプトの連載があるね)。

またこれは都市論であり、日本の住宅政策批判にもなっている。この国には自分が住みたいと思う住宅が供給されていない、と一度でも感じたことのある読者は、共感するところ大だろう。

昭和30年代に日本住宅公団が標準化した規格型住宅は、すでに日本人の生活様式とは乖離している。日本人の多数派の生活に合った新しい規格が求められているはずだが、行政にはたぶんその問題意識さえない。

そうなると、現行規格型住宅では暮らせない日本人は、突拍子もない非規格型住宅を自力で建設するか、規格に生活を無理やり合わせて生きるか、ふたつにひとつの道しか選べない。実際上、大部分のひとは、制度が固定化された後者を選び取るしかないのだ。不便をこらえて。

せめて町の不動産屋が馬場正尊たちのようなセンスを持っていてくれるのなら、わたしも『東京R不動産、2』が紹介するような物件に住むことができるはずだ。いまは、物件にめぐりあたる可能性すらない。

でもたとえば喫茶店のオーナーが改装自由の古民家や倉庫を探し出せるのだから、どこかに回路はあるはずだとは思うのだけれど。
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by sasakijo | 2010-03-17 00:39 | 日記

残された者たちのジャズ

劇団人間座復活第一弾公演を観た。
『日輪 あるいは夜の曳航』、清水周一作。
出演は松橋登、江間直子、石井ひとみ、近童弐吉、阿部由輝子ら。

60年代末に初演された作品だという。なるほどたしかにあの時代のアングラ演劇の雰囲気が残った舞台だ。白塗りのダンサーたちの舞踏。海の妖精たちの詩的な台詞…。

しかし演出の高橋征男は、この作品の再演を引き受けるにあたって、オリジナルの台本を大胆に再構成したらしい。「アングラ風味」はかなり薄味になっているのだろう。

ジャズ・バンドの男女四人の、「関係の真実」が作品の中心テーマ。舞台は三浦半島あたりの港に係留された外洋クルーザー。同じジャズ・バンドの面々が、オフの日を過ごすために、その船にやってくる。そのバンドにはかつて、天才的な女性ボーカリストが参加していたのだが、彼女はほかの四人の関係を変え、その突然の死によってまた残された者たちの関係を振り回した。

五木寛之の短編のひとつを想起させるし、大江健三郎の初期の作品にも似た雰囲気のものがあった。関係が少しずつ明らかになり、さらにまたそれが否定されてゆく過程はスリリングだった。

舞台上にじっさいにジャズ・バンドとして登場するのは、B-HOT CREATIONS。


この舞台を観た前後に、高橋征男らと10月の俳優座劇場公演の原作打ち合わせ。
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by sasakijo | 2010-03-14 22:16 | 日記