ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

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鎮魂のための映画

NHKニュース、特集「ネット時代、書籍文化を守れ・声を上げる作家達」、このタイトルが示すとおり、NHKは最後にもgoogle批判でまとめていた。わたしの発言で使われたのは「読者を増やす、いいシステムができたと思いますよ」という部分。

ニュースでは、和解参加派の作家は11パーセントだという。わたしはそれほど少数派か。世代間で態度にちがいがあるのではないかとも思うのだけど、そのあたりはどうなのかな。ネットを使う作家、キーボード入力をしている作家と、手書き作家とのあいだでもたぶん違いは出ているはず。


『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(監督/若松孝二)
後半を観た。森恒夫、永田洋子が山岳ベースから消えて、ようやく観ている側の気分も少し晴れてくる。妙義山ベースを捨てて、残った九人が二手に分かれるときの映像がいい。坂口弘(?)が、女性ふたりを含んだもうひとつのグループに大声で言う。「アディオース!」

スペイン語が出てくることで、逆にキューバ革命との距離を強く意識させる。

観る前の予想に反して、若松監督の視線は徹底してクールだ。連合赤軍の青年たちを賛嘆しない。英雄視しない。終始、突き放した描写。榛名山ベースでの森恒夫と永田洋子の扱いも、まったく牢名主とその情婦、という描きかただ。

監督の視点は、あくまでも殺されていった青年たちの側にある。とくに遠山美枝子への共感が深い。彼女を含め、リンチで死んでいった者たちへの鎮魂のための映画と感じられる。

あさま山荘のシークエンスでも、人質となった管理人夫人・牟田泰子さんの冷やかな目が、監督の視線なのだろう。けっして加藤兄弟三男坊ではないと感じるのだが。

それにしても、三時間十分、ヘビィな映画だった。
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by sasakijo | 2009-04-30 23:53 | 日記

Amazonなら星ひとつ

早川書房『異色作家短編集』12冊揃いが、大阪の某古書店から届いた。
安かったはずだ。欲しかった初版函入りではなく、改訂版。函なし。スーパー源氏で見たときには、改訂版とは記されていなかったのだよ。刊行年の記述から初版だと思ったのだけど、その情報自体が嘘だった。

第一巻の初版刊行年を情報として出した、という理屈なのかもしれない。でも、このシリーズは、初版と改訂版で装丁がまったくちがう。べつものとして扱うべき。

これなら現行の版のほうがいい。函はないが、サイズはこの改訂版よりもひとまわり小さく、装丁も初版の雰囲気を残しているのだ。

Amazonは、マーケット・プレイスで買った場合、出品者を評価するシステムがある。だから、こういう商売はできない仕組み。これからは、スーパー源氏で買う場合は注意しよう。

古書店にこのように裏切られると、へこむ。自分もその側にいる業界という想いがあるので。
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by sasakijo | 2009-04-30 10:20 | 日記

正視不能

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(監督/若松孝二)

気分が上向きのときでなければ観ることは無理、と思っていたので、きょうやっとこのDVDをデッキにかけることができた。
途中なのだが、やっぱり重すぎた。もう正視不能。遠山美枝子(坂井真紀)が死ぬところで停止。

この映画作品についてだけ語れたらよいのだけど、素材となった事件と分けて語ることはできそうもない。義憤のひとである若松監督がこの素材を映画化した理由もわかるし、すぐれた日本人論であるとも思う。森恒夫、永田洋子のキャラクター設定と描写に、監督の視点も立場も明快だが。

小嵐九八郎の『蜂起には至らず 新左翼死人列伝』(講談社)を以前に読んだ。27人の死んだ戦後左翼活動家の死の事情を、大部分は淡々と事実経過のみ記した作品だが、このリンチ事件については氏の筆致には感情の高ぶりがあらわだった。永田洋子への嫌悪もストレート。

わたし自身も、あの事件を永田洋子の個人的な大量殺人事件とみなして納得したい気分がある。でも、やはりそれだけではないのだろう。

拙作『警官の血』で、潜入捜査する二代目民雄の関わる事件がなぜ、この連合赤軍リンチ事件ではなかったのかと質問されたことがある。あちらのほうが、事件としては大きく、印象は強烈であり、時代を象徴するものであったのではないか、ということだった。

わたしは、潜入捜査する公安警官の仕事であれ、それが警察官として「ひとを救う」物語としたかったのだ。だから、インパクトとしては「弱い」(ひとが死ななかったのだから)事件を選んだ。リンチ殺人のほうを、エンターテインメントの素材として描くことはできなかった。

『チェ』のほうは、まだDVDは出ていないのだろうな。
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by sasakijo | 2009-04-29 23:28 | 日記
googleのGLP問題で、NHKの取材を受ける。
わざわざこの避難地までスタッフがやってきてくれたぐらいなのだから、和解参加、GLP歓迎という小説家は、どうやら少数派なのだろう。

ニュースで使われる発言なので、遠回しな言い方をせず、言い切ることを心がける。なので、ふだんより過激なことを言っているように感じられるかもしれない。30日夜9時放送のNHKニュース、GLP問題特集で。

日本文藝家協会やその他の団体の対応についても感じるところを語ったが、マイクを切られていたときのはずで、放送はされないだろう。

わたしが入っている日本ペンクラブも和解に反対する声明を出したと聞いた(これを伝えるメールマガジンはまだきていないはず)。それにしても、ううむ、だ。もしペンクラブまでJASRACのような振る舞いを始めたら、逆に日本の文芸の世界は痩せ細らないか?


関連する話題。
知らなかったが、日本ビジュアル著作権協会(JVCA)という団体があるのだね。GLP問題では、会員に和解離脱を勧めている。ここは、著作権をめぐっても、じつにアグレッシブな活動を続けているらしい。

この団体のことを知ったのは、仲俣暁生氏のサイトで。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090425#p1
きょうの記事で、曽我陽三JVCA理事長と半田正夫青山学院大学常務理事との対談が一部引用されている。この対談を読むと、世の中には著作権について、わたしとは絶対に理解し合えないひとがいるのだなと感じる。「本」とはどんなものなのか、という根本の部分で、わたしとこのひとたちとでは認識がまったくちがうのかもしれない。

たとえば、読書好きのひとたちのあいだを次々と渡っていって、二十年か三十年後、モロッコの木賃宿のロビーでついに最後の綴じ糸も切れてばらばらになる、というような本と、その本の生涯を、わたしは理想のひとつとして夢見る。でも上記対談のひとたちはちがうようだ。モロッコまでの旅の途中の読者からも確実に印税が入ってくる機能を持った商品ができたとき、それを理想の本だと思うのだろう。

下のサイトも、この協会について、とても納得できることを書いている。
http://blogs.yahoo.co.jp/teabreakt/47151925.html
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by sasakijo | 2009-04-25 21:17 | 日記

ストレス性古書購入

早川書房から、異色作家短編集というシリーズが出ている。最初の刊行は昭和四十年代の前半。小振りのお洒落な装丁で、函入りだった。わたしはこのシリーズを二冊、持っている。ジャック・フィニィ『レベル3』と、ロアルド・ダール『キス・キス』。

(『キス・キス』の開高健名義の翻訳は、Amazonでは酷評されている。そんなに悪い訳だったのか)

最近、デュ・モーリアの短編をいくつか英語で読み、彼女の作品をもう少し読みたくなった。異色作家短編集には『破局』という作品集が入っており、これの新装版も出ている。買おう、と思ったのだけど、ちょっと高い。2,100円。古書の値段もあまり新刊と差がない。

このシリーズ、全部揃えてもよいくらいのいいセレクトなのだけれど、この価格ではなあと二の足。ふと思いついて、スーパー源氏で古書を検索してみた。おっと、最初の版12巻揃い5,800円。シリーズ新装版三冊分以下の出費で全巻揃う(もっと高い店もある)。すぐに注文してしまった。二点だぶるのはがまんできる。

書棚に空きができたので、このところ、わたしの現実逃避先はAmazonかスーパー源氏。デスクから離れずに、ストレス性過食のような勢いで本を注文している。大半が古書なので、満足感、充実感の割りには安上がり。書棚の空きスペースを見ると、あと100冊ぐらいは行けそうだ。それだけ買いこんでしまう前に、この地獄を脱していたらよいのだけど。
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by sasakijo | 2009-04-25 00:35 | 日記

ヤンキーの起源

更新の間が開きすぎるのもいやなので、簡単に。

『ヤンキー文化論序説』(五十嵐太郎編・著、河出書房新社)

最近、このテーマでたしか新書も出たはず。ヤンキー論ブームが始まるのかもしれない。ただし本書でも、「ヤンキー」とは何なのか、きちんと定義されていない。それは階層なのか? 文化なのか? またそれは「終わった」のか? それともまだ生きているのか? 本書では宮台真司以下十七人が論考を発表しているが、彼らのあいだでもまだ共通の認識はできていないようだ。

それでも、「ヤンキー」と名付けてなんとなく納得できる何かがあることは確かだ。タイトルにあるとおり、これは「序説」。これから、たとえばオタク論のように、このテーマについて多くの論者やメディアが語りだすことになるのだろう。

ひとつ、本書を読んでいて思い出した小説。
『けんかえれじい』(鈴木隆)、いま手元にないので、版元はあとで調べて付記。鈴木清順の映画の原作。
(付記、いま岩波文庫版が出ていた。わたしが持っているのは、たぶん理論社版。上下二巻)


これは戦前の岡山と会津が舞台、硬派の旧制中学生の喧嘩に明け暮れる青春記なのだが、中でひとりの友人が学生服の背(裏地?)に派手な絵を描いたエピソードがあった。彼の級友たちはその行為を「あいつがとうとう飛ばした」(うろ覚え)と称賛するのだ。旧制中学生というインテリ予備軍(卒業後都会に出る子も多かったろう)の青年たちの話なので、社会階層に差はあるが、突っ張りという行動様式には共通性がある。美意識も、ほとんど通底していると言ってよいのではないか。

なので、わたしの仮説。ヤンキーのルーツは意外に古い。けっして戦後のものではない。ましてや、キャロル=矢沢永吉あたりを発祥と見るのは間違い。それはたぶん戦前にすでに存在していたが、社会一般からは無視されていたのだ。顕在化したのが、七十年代。
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by sasakijo | 2009-04-22 23:10 | 日記
『ラスト、コーション』(アイリーン・チャン、集英社文庫)

タイトルに注意。中グロではなく、点。『LUST,CAUTION』、中国語の原題は中グロ入りの『色・戒』。抗日戦争下の上海、重慶政府派と南京政府派との暗闘を、重慶派女性スパイの視点から描いた秀作だ。

映画版のDVDを観て、いったいどんな短編からあの大作映画が出来るのか気になっていた。読んでみると、描かれる時間は、南京政府派要人の易(映画ではトニー・レオン)暗殺計画がまさに実施されようとしたその日だけ。視点はおおむね女性スパイ佳芝(ジアジー)のものだけれど、最後は易の視点で締めくくられる。

映画を観ていなければ、記述のいくつかの意味に気づかなかったろう。とくに香港のエピソードは、主人公の回想の中で簡潔に書かれているだけ。なのにあの映画を支えるだけの豊かさを持っていたのだ。逆にあの記述から、あれだけのキャラクターたちやサブ・エピソードを作ってしまった脚本家の感受性もすごい。

クライマックスの舞台となるインド人経営の宝石店の構造は、映画に描かれたとおりだった。不思議な造りなのでその点も気になっていたが、映画はじつに正確にその描写を再現していたのだ。モデルとなった店がじっさいにあったのだろう。

じつは病院の待ち時間に読むべく持っていった文庫。思いのほか待たされず、表題作しか読めなかったが、収穫だった。
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by sasakijo | 2009-04-18 00:39 | 本の話題

日本文学e-magazine構想

某翻訳事務所の代表さんと、ランチしながら意見交換。現代の日本文学を英語で紹介するe-magazineの立ち上げについて。

この事務所は、わたしのTwo Short Stories of Sapporoの翻訳をやってくれたところ。去年のザグレブ大学での発表用のパワーポイント・ファイル(という呼び方でよいのかな?)も、作成をお願いした。優秀な英日、日英の翻訳者さんを抱えており、その力をこっち方面でも生かしたいという。

著作権問題や業界事情などもからめながら話した。翻訳事務所さんが構想するように、そのサイトに入れば、現代日本文学(エンターテインメントを含めて)の現状と概観がわかる、というサイトを作る意味は小さくないと思う。作家を紹介し、短編なら全部を、長編ならその一部と梗概を、英語でアップする。評論や、外国人研究者の論文も載せる場とする。

ネットからの収益は望めないが、翻訳経費ぐらいは出るシステムを作らねばならない。ここが難問。

私家版英訳短編集を作った経験から言えば、当初はネット同人誌のかたちを取る、という手はあるかもしれない。データが蓄積されてゆけば、また運営の方向性も方法も、変わっていっていいのだし。

意見交換をもう少し重ねてゆこう。
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by sasakijo | 2009-04-11 00:02 | 日記
『星の王子さまの世界 読み方くらべへの招待』(塚崎幹夫、中公新書)
コンテナでどっと届いた古書のうちの一冊。

82年にはすでに、『星の王子さま』をこう解釈する論考が出ていたのだね。というか、岩波書店が刊行したのが53年だから、それでも遅すぎないかという気がしないでもない。本書はきわめて挑発的とも言える『星の王子さま』の通俗解釈批判である。

序文で著者は書く。
「私はいまこの書物を、現下の世界の危機にどこまでも責任を感じて思いつめる一人の「大人」の、苦悩に満ちた懺悔と贖罪の書であると受け取っている。他方、人びとのいっているところから判断すると、彼らはこの書物を逃避か、免罪か、ナルシズムの書物と、どうやら理解しているらしく思われるのである」

こういう一節もある。
「この書物の特権的読者であることを証明するためには、純真で無邪気であることを証明する以外にはないからである。思考力も判断力も想像力も捨ててしまった一種の痴呆状態が、この書物を読むのに要求されている純真さと無邪気さの至高の状態だと、理解しているのではないかと疑わしくなるような例さえ珍しくない」

岩波書店は、本作の新装版を出したとき、バオバブの挿絵を収載しなかったという(いまの版では復活とか)。それまで日本の読者はバオバブの木の暗喩の重要性をまったく意識していなかったということになる。それほどの誤読が続いていたのだ。

わたしも、童心やら純粋、純真といったキーワードが頻出したこの作品の当時のもてはやされかたのせいで、四十年前は反ファシズムがテーマの書とは受け取れなかった。すでに『人間の土地』(筑摩の世界教養全集の一冊だったと思う)を読んでいたから、ファッションのように読まれている童話はいやだ、と最初から敬遠気味だったのかもしれない。
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by sasakijo | 2009-04-09 16:57 | 日記
佐藤泰志の『海炭市叙景』が映画化される。
熊切和嘉監督(『ノン子36歳(家事手伝い)』ほか)。

製作実行委員会から、その決定を伝えるチラシが届いた。「映画化が楽しみ」という趣旨の、わたしの短いコメントもチラシには掲載されている。

じつを言うと、函館の製作実行委員会のひとから、コメント寄稿を頼まれた。ちょうど多忙な時期であったのと、自分の性格を考えて、コメントしたことについてはついつい深く関わりすぎてしまうだろうと予想できた。そうなると、いろいろ迷惑をかけている関係各位にはいよいよ申し訳が立たない。趣旨には賛同しつつも新たにコメントを書くことはお断りしたのだった。

でも、ブログには映画化の期待について書いている。この短い文章の引用はまったくかまわない(つねづね、自分がネット上に公開するテキストについては、原則として引用・転載自由と表明してきたし)。というわけで、引用の了解を求める問い合わせにはオーケーしたのだった。

チラシになったものを見ると、わたしの一文はいささか素っ気ない。ほかには岡崎武志さん、井坂洋子さん、文弘樹さん(『佐藤泰志作品集』を出したクレイン社の社長さん)、越川道夫さん(映画プロデューサー)が期待の熱いコメントを書いているのに。

この期待のコメントとはべつに、川本三郎さんも一文を寄せている。ちなみに、川本さんの書評集『言葉のなかに風景が立ち上がる』に収められた『海炭市叙景』論は、それ自体で涙が出てくるほどに素敵な評だった。

製作実行委員会のホームページは
http://www.cinemairis.com/kaitanshi/index.html

あれ、exblogでは、記事中URLへのリンク機能はないのだったか。
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by sasakijo | 2009-04-08 23:51 | 日記