ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

<   2009年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧

Kitaraの拷問シート

札幌コンサートホールKitaraで、札幌交響楽団の定期演奏会を聴く。
尾高忠明指揮
モーツァルト交響曲41番 『ジュピター』
リヒャルト・シュトラウス交響詩『ドン・キホーテ』
チェロ 石川祐支
ヴィオラ 廣狩亮


これまでKitaraのコンサートはプログラムで選んでいたのだけど、先月から札響定期の会員となったのだ。

定期会員になると、予約の手間が省ける代わり、困った状況になっても逃れられない。
わたしの席のうしろの年配の婦人ふたりは、おしゃべり好きで、演奏が始まってもおしゃべりをやめない(小声にはなるが)。先月は3回振り返って睨んでしまった。きょうも同じ調子。『ジュピター』が始まってから睨んでやったが、おかげで集中できない。

クラシック音楽の出だしを息を詰めて聴かないで、どうするのだ?

第三楽章に入ってようやくそのひとたちのことを忘れたころ、いきなりシートがキックされた。わたしは飛び上がるほどに驚いた。たぶんひとりの婦人は眠っていたのだろう。

休憩時間が終わり、席にお着きくださいのアナウンスがあってから、わたしは場内係の女性に、空いている席に移れませんかと訊いた。二階席は三分の入り。ガラガラなのだ。でも係員は言う。「これからお客さんがくるかもしれませんから」 これからまだ来る? 本気で言っているのか? わたしは脱力して引き下がる。

『ドン・キホーテ』のチェロ独奏のパートでは、またキックが入るのではないかという不安に胸が締めつけられる。じつにスリリングな時間だった。

定期会員でなければ、同じようなことがあっても、きょうかぎりのことだからと耐えられる。でも定期会員になると、そこは拷問シート。更新するまで同じことが続くのだ。定期会員となったことを後悔している。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-29 22:39 | 日記
オール読物(文藝春秋)の6月号に、北海道警察の元釧路方面本部長・原田宏二氏とわたしの対談が掲載されています。「警官の誇り、現場の闘い」というタイトル。

原田氏のお話がじつに興味深いものであったので、わたしはもっぱら相槌を打つだけの対談でしたが。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-26 17:37 | 連絡

佐藤泰志をめぐって

来月20日(土)、函館で佐藤泰志をめぐるイベントがある。

『本を好きになる 佐藤泰志を好きになる』
岡崎武志さんの講演と『海炭市叙景』の朗読・パネル展
6月20日(土)午後2時(開場午後1時30分)
サン・リフレ函館(函館市大森町2-14) 大会議室
参加料1,000円
(ホームページは「海炭市叙景」で検索)

佐藤泰志『海炭市叙景』の映画化が決まったが、製作実行委員会は、制作協力金の寄付を募っている。額によって「エキストラ出演権」「クレジットに名前記載」「撮影台本進呈」「映画撮影見学会への招待」などの特典(その組み合わせ)がある。

撮影は、たしかもう一部始まっているはずだ。イベントのパネル展というのはきっと、その様子を記録した写真展なのだろうな。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-26 07:48 | 日記

話が通じるのはオージー

定点観測しているニセコで、オーストラリア人実業家ふたりと話す機会があった。

さすがにリーマン・ショック以降の世界的景気後退は、オーストラリア人投資家のニセコへの投資熱をすっかり冷やしてしまったという。おふたりとも、事業を三分の一の規模に縮小して、景気回復を待つ態勢。しかし、ニセコの未来像についてじっくり考えるいい機会だと、いまのこの不況にも縮みこんではいない。

ひとり、Bさんは、農業法人を設立、念願の農地を手に入れたそうだ。観光以外でも、ニセコと北海道を世界的なブランドにしたいのだという。

Sさんは、香港、マレーシア、シンガポールなどをまわる長期出張から帰ったばかり。景気回復については好感触を得てきたようだ。

Sさんの自宅や、開発物件を見せてもらったが、景観に配慮し、しかもチープさのない、魅力的なリゾート開発。この水準の開発が主流になるなら、たしかにニセコは極東のウィスラーにもなれる、という気がする。

ニセコは早い段階で、Sさんのようなひとを、開発のコンサルタントにしてもよかったのではないかとさえ思う。もっとも、ロス・フィンドレー氏に対しても「あとから来ていいとこ取りしたオージー」と陰で言っているような土地柄だ。夢想に過ぎないが。

環境にせよ、景観にせよ、北海道の将来像にせよ、こういうひとたちのほうが話が通じる、と思えるのが、少し悲しい。

そのあたりの空気については、連作短編集『廃墟に乞う』(文藝春秋、7月末刊行予定)の中の、『オージー好みの町』で少し触れた。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-24 22:14 | 日記

増刷のお知らせ

『天下城』(文庫版上下、新潮社)の下巻がしばらく品切れ状態でしたが、このほど増刷。入手可能となりました。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-18 14:53 | 連絡
1990年ころ、リアルなポリティカル・フィクションを書きたくて、勉強と取材を続けていた。政権交代がなるかならないかをクライマックスのサスペンスとする物語の構想だった。社会党広報を通じた正規のルートで、多くの社会党議員、秘書、職員、OBたちに会った。いちばん多く取材させてもらったのは、仙谷由人議員と、故石井紘基氏(当時は表向き江田五月の公設第一秘書。じっさいは衆院選に向けて選挙運動に入っていた)。

そのころ、社会党は社公民路線(社公民連立政権)を追求していた。しかしわたしは、近い将来政権交代があるとしたら、自民党の分裂、その分裂したグループと社会党の連立、という形がもっとも濃厚に現実的ではないかと考えるようになっていた(しかし当時、どんな政治評論家もメディアも、その可能性について語ってはいなかった。少なくともわたしは目にしたことがない)。

取材の中で社会党関係者にその可能性について問うと、例外なく誰もが笑った。
曰く「自民党はそう簡単に分裂しません」「権力の求心力は強いんですよ。自民党の分裂はありえません」
ある大物議員の秘書は、わたしに哀れむような目を向けて言った。
「新聞には政治面というページがあるんですが、あそこを読むことから始めたらいいと思いますよ」

でもわたしには、どうしても社公民連立政権構想のほうが途方もなく非現実的な夢想としか思えない。なので、自民党の一部と社会党の改革派リーダーが組んで政権奪取に出るという、近未来政治小説を書いた。

『愚か者の盟約』(講談社、1991年7月刊行)

もちろん刊行時も、たぶん一般的には、ありえない話としてしか評価されなかったのだろう。

しかし刊行からちょうど二年後、自民党は分裂、社会党との連立による細川政権が誕生した。評論家の高野孟氏は、テレビ番組で拙作を取り上げ、「この事態を予言した小説があったんです」と紹介してくれたという。

しかし、自民党との連立という事態を想像もしていなかった社会党は、その事態に右往左往、けっきょく解党への道を歩む。

さて、きょうの午後、新聞の号外を受け取った。「民主代表に鳩山氏」という大見出し。岡田克也氏とは29票差での勝利、とある。記事では「(鳩山氏は)旧民社党、旧社会党グループに浸透し(た)」とのことだ。

あのひとたちは、相変わらず政治的な想像力に欠けた愚か者たちである。彼らは、政権奪取のためにいま何をなすべきであったか、その判断もつかない。というか、政権奪取があらゆることに優先する追求目標である、という問題意識もなかったのだ。


『愚か者の盟約』文庫版は、今年復刊されそうだ。いいタイミング、と言ってよいのかどうか。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-16 20:01 | 日記

『警官の血』映画版

映画版『警官の血』脚本第一稿が届く。
契約前なので詳しいことは書けないが、脚本のひとりは丸内敏治さんだ。わたしの『新宿のありふれた夜』(『我に撃つ用意あり』)、『夜を急ぐ者よ』(『暴力列島ダーティマネー・ジャック』)の脚本を担当してくれたひと。

さすが劇場用映画では、テレビ朝日版のような大河警察ドラマにはできないのだろう。それでも「資質と想いの継承」という原作のテーマはしっかりと描かれた脚本。正式決定、製作と問題なく進んでくれるといい。劇場で作品をを観るのが楽しみだ。

プロデューサーにはキャスティングの腹案もあるのだろうな。民雄篇に出てくる北大生・守谷久美子は誰が演じるのだろう。尾野真千子の、二度目の出演は無理だろうか。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-13 22:06 | 日記

ポランスキーが描けば

『戦場のピアニスト』(監督ロマン・ポランスキー)
あの『ブラックブック』の口直しとして観た。未見だったのだ。

第二次大戦中、ワルシャワでユダヤ人がどのような境遇に置かれてきたか、衝撃的なエピソードの積み重ねで見せる作品。しかし、ポランスキーは、描きかた次第でいくらでも派手にできたこの実話を描くのに、サスペンス演出もスペクタクル映像も排除する。主人公の非力なピアニスト、シュピルマンの視点だけで、その時代と、ゲットー蜂起、ワルシャワ蜂起という歴史的な事件を表現する。その抑制が見事。

また『ブラックブック』とはちがい、ここではユダヤ人社会内部の格差をも隠さずに描く。ゲットーには、金持ちユダヤ人と、ナチスに協力したユダヤ人と、貧しいユダヤ人と、飢えたユダヤ人がいたのだ。

『ブラックブック』では、下層のふたつのユダヤ人は描かない(時代から言って、すでにオランダでは死に絶えていた、ということであったのかもしれない)。逆に、金持ちの上にもうひとつの種類のユダヤ人がいたことを描く。つまり、才覚があって美貌の女、というユダヤ人。オランダで生き延びたのは、その層だけだった。

ワルシャワ蜂起のあとの廃墟となったワルシャワでシュピルマンがひとり生きる様子は、文明崩壊後の世界を描いたいくつかのSF映画を連想させる。シュピルマンの悲劇は人類の悲劇であるということだろう。なのでその世界を生き延びたシュピルマンは、映画のラストにいたっても、シオニズムという結論に飛びつかない。政治的に「覚醒」しない。その徹底した個人主義にむしろ観客は共感する、という作りだ。

未見だったことを後悔した映画。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-12 23:26
『羆撃ち』(久保俊治、小学館)
著者はアメリカのプロ・ハンター養成スクールを最優秀で卒業したひと。プロのハンターとは、大自然の中でアマチュア・ハンターのガイドもつとめるということである。狭い意味での狩猟技術だけではなく、乗馬やキャンピングも含んだアウトドア・ライフ全般についての高度なスキルも求められる。

著者は、現在は知床半島で肉牛を飼いながら、羆を撃つ。ただし、ハンティング・ガイドはやっていない。61歳。

本書の前半は、プロのハンターが生まれるまでの、ストイックな自己訓練と修行の物語、と要約できるだろうか。日本のアウトドア・マンにありがちな高慢なご託宣はない。手放しの野性讃歌も、都会人に対する侮蔑も、銃器に対する過度のフェティシズムもない。そうした意味では、日本では異色のアウトドア・マンの半生記である。しかも、アメリカの学校に入るぐらいのひとだから、著者は民俗学的な「猟師」ともちがった、いわば「近代人のセンスを持った」ハンターである。

後半は、愛犬との心の通い合いの物語。前半が男っぽい物語としたら、こちらのパートは涙を誘うストーリー。この部分だけファミリー向けの映画にもできそうだ。

じつを言うと、著者とは近所づきあいする間柄だ。長身、痩躯、長髪で姿勢のよい著者は、周囲のオヤジたちが嫉妬するほどに格好いい男性である(『シティ・スリッカーズ』という映画の、ビリー・クリスタルの目から見たジャック・パランスのようだ)。ギターを持ってブルースでも歌い出しそうな雰囲気があるが、音楽はまったく駄目だという。これはいまだに不思議に思えることなのだが。

北海道には、海上保安庁の南極料理人・西村淳さんに次いで、もうひとり、異能・異色のライターさんが生まれたのではないか、という気がする。


追記
北海道のひとなら、次のひとことを聞いて、あ、そうかと著者の具体像が浮かぶにちがいない。
久保さんは「大草原の少女みゆきちゃん」のパパである。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-10 22:36 | 日記

ネット環境から離れます

10日夜まで、佐々木はネットにつながりにくい状態となります。一日に一回、メールのチェックができるかどうか。ファクスも使えません。緊急のご用件は携帯電話にどうぞ。
[PR]
by sasakijo | 2009-05-07 08:52 | 連絡