ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

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『笑う警官』舞台版の公演が決まりました。
本年12月15日から21日まで(1日延びる可能性あり)。
東京・銀座みゆき館劇場。
脚色・演出は高橋征男(舞台版『新宿のありふれた夜』も彼の作品)。

出演者等は正式決定後にあらためてご案内します。
ちなみに、映画版『笑う警官』は、11月14日から全国東映系で公開です。
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by sasakijo | 2009-07-31 09:06 | 連絡
高校時代、.わたしは山岳部に入っていた。
トムラウシは憧れの山だったけれど、顧問は部の山行としては絶対にトムラウシ登山を許可しなかった。

代わりにわたしたちが夏に二度登ったのが、裏大雪のニペソツ山。ここもアプローチの長い険しい山だったけれど、トムラウシはそのニペソツよりもずっと「危ない」山だということだ。

万が一の場合の回避の手段、エスケープのルートがないのだ。数日間、想定外のビバークとなってもよいだけの装備と食料を担ぎ上げねばならない。当時の登山用品はどれも重かったから、その負担は現在の比ではない。

何度か単独行も考えた。
でも当時、山麓から直登するのも8時間。表大雪からの縦走では、3泊4日の行程。しかも縦走コースは濃霧のとき道に迷いやすい(20年ぐらいまえのSOS事件は、たぶんそのせい)。断念した。

でも、社会人になってから、一度ひとりでトムラウシを目指した。黒岳ロープウェイができた直後だ。これで行程が一日短縮できると、層雲峡を出発、その日のうちに白雲岳避難小屋まで歩いた。

表大雪からトムラウシへのルートは、アップダウンの少ない尾根道。たしか白雲岳避難小屋からトムラウシのヒサゴ沼避難小屋まで8時間の行程。

朝、出発したのはいいが、視界が50メートル以下のガスだった。広い尾根道なので、こういう場合はケルン伝いにゆくしかないが、次のケルンが確認できない。たぶん100メートルおきぐらいにはあったはずだけれど、ケルン伝いも不可能なのだ。

背後のケルンを見失わない程度まで進んで、先のケルンを探す。これを少し繰り返したけれど、ほかにすれちがう登山者もない。自分は登山道上にいる、という確信も持てなくなる。

冷や汗をかきながらガスが晴れるのを待ったが、けっきょく中止の決断。白雲岳避難小屋に引き返し、旭岳から天人峡温泉へと下りたのだった。

その後ヘビーな登山から撤退したわたしにとって、トムラウシはいまだに遙かなる憧れの山だ。


またもうひとつ思い出したこと。ガイドの判断、ということで。

2000年の9月初旬、ワイオミングの馬の牧場に滞在したことがある。このとき牧場オーナー(ガイド)に、馬での一泊トレッキングをお願いした。滞在客の中のイギリス人女性もひとり、同じリクエストを出したので、オーナーはわたしたちをビッグホーン山脈の山中に連れていってくれた。

事前に装備のチェックがあった。わたしは夏山登山用の格好。ガイドはそれでは不十分と、オイルびきのロングコートを渡してくれた。

三人がそれぞれ馬に乗り、さらに荷を運ぶ馬が一頭。山に入ると雪が降り出し、どんどん積もってゆく。ビッグホーン山脈の初雪の日にあたったのだ。雪の中を登りながら、自分は遭難するのではないか、いますでに遭難しているのではないかと恐怖に震えた。胃が痛んだ。

野営の予定地まできたときは、積雪は5センチほどになっていた。ガイドは、野営の中止を告げた。野営道具の一切はその場に放棄だ。翌年まで回収には来れないという。

雪の中を下山して、小さな谷に出た。馬たちが耳を立てて脚を止めた。ガイドが言った。「匂い、わかりますか?」 いいえ、と答えると、ガイドは言った。「エルクです。すぐ近くにいる」

次の瞬間だ。雪の向こう、50メートルほどの距離のところにエルクの群れが現れた。数10頭いる。わたしたちが止まって注視している中、エルクの群れは音も立てないままにその小さな谷を横切って、また雪の中に消えていった。ほんのわずかの時間のことで、夢を見ていたかのような気分だった。

少しずつ雪が小降りになり、やがて林道に出た。平坦地にテントがふた張りあって、ボウガンを持ったハンターたちがいた。ガイドの知り合いだった。わたしたちはそこで熱いコーヒーをごちそうになった。ようやく、自分は無事に人里に帰り着いたのだと実感できた。

わたしの「シティ・スリッカー」体験。


それにしても、アミューズ・トラベルという会社は、ヒサゴ沼避難小屋にアルバイト社員を常駐させ、自分のところのツアー客のために場所取りしているのだという。客用のシュラフ・ザックも小屋に保管とか。避難小屋をそんなふうに使ってはならないだろうと思うが。
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by sasakijo | 2009-07-20 13:07 | 日記

『朗読者』を読む

『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、新潮社、新潮クレスト・ブックス)
読後、呆然とする。15歳の少年と36歳の女性との関係の顛末。途中まったく予想がつかなかった展開で、この読後感をどう表現したものやら。予想外の場所まで連れてゆかれて、ひとり置き去りにされたような気分と言えば近いか。

拍子抜けというわけでもない。苦いのともちがう。けっして悪くはないのだけれど、主人公たちに感情移入して、その人生に深く感動したわけでもない。

作者は言葉を惜しんでいないか、という疑問が残ったまま終わってしまった物語、という印象もある。

主人公のひとりハンナはともかく、出てくる人物がどれもかなり意識的に不快な人物に描かれている。主人公の父親も、刑務所長も、ハンナの「罪」を告発したユダヤ人女性も。

いちばんの問題は主人公の不誠実さなのだけれど、これ自体が主題である可能性もある(確信持ってそうだとは言えない)。作者自身はその部分をさほど問題にしてはいないようにも読める。

主人公の認識として、自分の罪はその関係を秘密にしたことだ、という意味の叙述はある。ただ、彼の自罰意識がどことなくナルシズムっぽくも受け取れるのだ。

再読すれば印象は変わるだろうか。

この一人称で回想される物語を、読者がべつの視点を想定して(三人称視点からとか)読み直すことは可能だ。表層のストーリーは、むしろ映画的と言ってもよい。スペクタクルとなっているだろうと想像できるシーンもある。

アウシュビッツやビルケナウを訪問する成長した主人公の場面など、そのトーンも想い浮かぶ。映画は、原作よりも感動的な(登場人物たちに感情移入できる)物語になっているのではないだろうか。

ふと、いま、遠藤周作『私が棄てた女』を思い出した。
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by sasakijo | 2009-07-16 16:25 | 本の話題

新刊『廃墟に乞う』

新刊が出ました。
『廃墟に乞う』(文藝春秋、7月15日刊。1,600円プラス税)
連作短編集。

オール読物に掲載したものです。警察小説に分類できるかと思いますが、主人公の刑事(道警本部捜査一課)は休職中で、起こった事件について捜査権限を持ちません。初動捜査にのみ関わって、すぐにその土地を立ち去ります。

舞台となる土地は、ニセコ(倶知安)、札幌、帯広、日高の馬産地、オホーツク海沿岸の漁港、夕張市に近い旧産炭地。それぞれの土地柄を反映した六つの事件を描いています。
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by sasakijo | 2009-07-09 17:47 | 連絡