ここは佐々木譲が開設している備忘録ブログです。日々の暮らしと、本、映画について書いています。


by sasakijo

ニューヨーク日記11

a0019702_124045.jpg7月18日
北海道ゆかりの会から、バーベキュー・パーティにお誘いを受けました。会場は、グランド・セントラル駅から列車で約1時間のカトナー(地名の記憶に若干の不安あり。後日再確認します)という土地の郊外の公園。クリントンの新しい家にも近い地域だそうです。
グランド・セントラルのポスマン・ブックスでV社S氏と待ち合わせて、列車でカトナーまで。迎えの車が駅前で何台も待っていて、参加者を公園へ移送。同じ列車に北海道ゆかりの会の関係者が10人以上乗っていたのだとわかりました。

公園内の会場に集まったのは、約50人の北海道ゆかりの会の関係者。もうすっかり親しくなったM氏が、支度をしていました。ジンギスカン(というよりは、網焼きですので、これもバーベキューですね)は、やはりかなりの人気。肉が足りなくなりました。
天気もまずまずで、美しい公園の中でリラックス。北海道出身の方々と歓談。ニューヨークで働いているひとの中には、会計士さんという職業がわりあい多いことに気づきましたが、ちょっと意外です。
そのうちパラパラと雨が降ってきたのでおひらきとなり、わたしとS氏は4時25分の列車でマンハッタン戻り。

マンハッタンに着いたころには、雨も本格的になっていました。
お別れ会をしましょうというお誘いがあり、7時、9番街・21と22丁目のあいだのベトナム料理店サイゴンへ。わたし、S氏、先日のウェルカム・ディナーにきていたSさん、Sさん、の4人で、業界事情などを話しながら食事。そのあと、ASIA DE CUBAという変わったコンセプトのお洒落なバーに移動して、カリブふうのカクテル。10時半、散会。

ホテルに戻って荷造り。いよいよ明日、帰国の飛行機です。
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# by sasakijo | 2004-07-19 12:42 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記10

a0019702_224914.jpg写真は、スターバックス店内の我が愛機と、コンパクト親指シフト・キーボード。

7月17日夜
6時30分、1番街と59丁目の角のイタリア・レストラン。わたしと、V社S氏、M氏、Y女史、それに、北海道ゆかりの会幹事のM氏と5人で食事。
幹事のM氏は某日本企業のアメリカ支社長さんで、札幌南高出身でした。この北海道ゆかりの会は、さすが札幌の名門ハイスクール南高出身者が多いですね。部分的には、南高同窓会の雰囲気があるのではないだろうか。

レストランでイタリア料理を堪能した後、イーストリバーを見下ろすM氏のコンドミニアムへ移って、ワインをいただく。氏の部屋からの眺めは、こんなニューヨーク生活もあるのか、とため息をつきたくなるくらいの豪華なもの。ニューヨークの日本人の生活も、いろいろです。

面白かったのは、氏の生活感覚や世界観が、完全にWASPアメリカ人に同化しているように感じられること。アメリカ的ライフスタイルの普遍性、優越性を信じて、いささかも疑っていない。 その点、氏よりも若い客たちのほうが柔軟であり、世界の文化と生活様式の多様性を理解していましたね。笑いながらも、氏の見解には絶対に同意しておりませんでした。
10時30分、わたしとV社S氏だけ、早めに辞去。
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# by sasakijo | 2004-07-18 22:42 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記9

a0019702_42620.jpg7月17日
ちょっと疲れが出てきました。朝4時の目覚め。昨夜は10時15分ぐらいに就寝していますので、6時間弱は眠っています。もう誘眠剤を使う必要もないかとそのまま起きてしまったのだけど、やはり少し寝不足感。

最後に住んだチェルシーを歩いてみました。かつて画廊街だったSOHOがブティック街に変わり、画廊はチェルシーのほうに引っ越して、チェルシーがずいぶんお洒落になった、と聞いています。歩いてみると、たしかにわたしの記憶にある、乾いて索莫としたエリア、という印象は少なくなったような気がします。きょうが快晴の夏の日というせいもあるかもしれませんが、明るい。部分的には、かなりお洒落にもなっているのでしょう。

チェルシーと聞くと、チェルシー・ホテルを連想するひとも多いかと思いますが、あのホテル(わたしは3泊したことがある)だって、けっしてさほどお洒落というわけでもありません。ビレッジに近いせいもあって、ほんらいビレッジの住人になるべきひとが、客として伝説を残した、ということなのだと思います。ウォーホールも、「チェルシーガールズ」という映画を作っていなかったかな。
『危険な情事』という映画では、グレン・クローズの住んでいたのがチェルシーの西はずれ、食肉加工工場街という設定でした。マイケル・ダグラスがグレン・クローズのアパートを訪ねたとき「こんなところに住んでいるひとがいるのか」とつぶやいていたのを覚えています。いずれにせよ、あのころは一般的には、まっとうな堅気の市民が住むエリア、というイメージの地区ではなかったのでしょう。いや、現実には、大部分がまっとうだったのですが。

わたしの住んだアパートのある通りまで行ってみました。写真がその通り。18丁目で、8番街と9番街とのあいだ。
ご覧のとおり、並木道です。住んだのが秋から冬という季節のせいか、わたしには、緑の記憶はまったくありませんでした。地下鉄の駅も近くにふたつあるし、先日は歩いて学校まで通ったと書いたけれど、たぶん朝は地下鉄を使っていましたね。

じつは、きょうもどこかのスターバックスでこの日記を書こうと思っていたのですが、暑い日なので、チェルシーからビレッジ方面へ歩いただけでへばってしまいました。モバイルPCとキーボードも、やたらに重く感じられます。へばりきらないうちにと、ブリッカー通りでパスタのランチを食べ、ホテル戻り。シャワーを浴びて、いまこの日記を書いています。

きょうはこのあと、買い物にゆかねばなりません。わたしは旅行中に限らずショッピングがそもそも苦手なので、もしかするときょうがこの旅行中最大の「神経を使う日」になるかもしれない。
お土産として優に4キログラムはありそうな図鑑もプレゼントされたので、バッグもひとつ買い足す必要が出ました。こちらで増えた荷物もなんとかひとつのバッグに詰めてゆくつもりだったのですが、いきなり4キロも増えると、片手の負担が大きくなりすぎます。ふたつに分けねばならない。かといって、そういう買い物に時間をかけてもいられないので、店をはしごして比較することもなく、手近にある適当なバッグ(かスーツケース)を間に合わせで買ってしまうことになるでしょう。いちばんへたくそな買い物ですね。買ったことに喜びも感じられないのだから。やれやれ。
 
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# by sasakijo | 2004-07-18 04:27 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記8

a0019702_184820.jpg7月16日
夕方6時から、ロックフェラー・センターの紀伊国屋店内で、自作を語る会。次いでサイン会。20人ほどの参加者がありました。白人の参加者もあったのは、ボイスの案内の効果なのでしょう。そのひとたちのためには、編集長Y氏が通訳。
日本クラブでのシンポジウムのときよりも緊張したのはどうしてかな。質問に答えているうちに、何を言っているのかわからなくなるという場面もありました。
Y氏の話では、アメリカの出版業界では、こうした書店廻りのセールス・プロモーションが欠かせないとのことで、グリシャム級の作家でも、ひとりで地方書店廻りのツアーをやるのだそうです。そのことも、出版契約の中に含まれることが多いのだとか。

最初のニューヨーク滞在時に知り合いになった友人ふたりも、きてくれました。終わったあと、その友人たちも含め、関係者で食事。今回のニューヨーク滞在の公式行事はいちおうこれで終了なので、打ち上げ、ということになります。わたしがニューヨークにきたことが、多少なりとも売り上げに貢献できたのならよいのですが。

食事をしたのは、47丁目のチャイニーズ・レストラン。絶品の本格的四川料理でした。
9時に散会し、わたしは友人ふたりとグランド・セントラルのバルコニーのバーで、軽くもう一杯だけビール。
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# by sasakijo | 2004-07-17 18:49 | ニューヨーク日記

臨時メールアドレス取得

メールの件ではご迷惑をおかけしています。すがやさまのアドバイスを受けて、ヤフーのメールアドレスを取得しました。復旧するまで、佐々木宛のメールは、こちらのアドレスにお願いします。
sasakijony@yahoo.co.jp
取り急ぎ、よろしく。
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# by sasakijo | 2004-07-17 06:01 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記7

a0019702_53537.jpg実際に本が店頭に並びました。グランド・セントラル駅のポスマン・ブックスという書店です。ここにはバーティカル社の特設コーナーがあるので、ほかの書店よりもかなり早く並ぶのだということでした。バーンズ&ノーブルなどの書店では、たぶん今月末くらいから販売とのことです。ということは、Amazonで予約したしたひとたちにも、届くのはそれ以降ということになるのかな。ともあれ、うれしさのあまり、この写真を。
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# by sasakijo | 2004-07-17 05:36 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記6

a0019702_25347.jpg
写真は、ビレッジボイスに載ったサイン会の案内。「日本のトム・クランシー」とは、わたしが名乗ったわけではありません。ボイスのライターさんのつけた惹句です。

7月16日
朝10時半、いまNYUに近いスターバックスでこの一行を打ち始めました(このひとことを書きたくて、わたしはけっこうな重さのPCを、コンパクト親指シフト・キーボードと一緒に持ってきたのでした)。
店内で勝手に電源を使っていいのかどうか心配だったので、念のために確認してみると、そのためのセクションがあるから好きなところで使って、とのこと。無料です。

関係各位にたいせつなお願い。
メールサーバが満杯という問題は、ここではどうしようもないので、重要案件については、この書き込みのコメント欄に書いていただけますか。きょうを含め、あと丸三日、一日二回、この方式でメールをチェックします。

関係各位に、お詫び。
ええと、佐々木は自分の予定のことで、またポカをやりました。帰国の日時を間違えてご連絡していました。日付変更線があるので、帰路の成田着は、20日でしたね。仕事場戻りは21日になります。ゲラの最終チェック、かなり切羽つまっている場合は、20日の東京で可能ですが。

ここまで書いて、喫茶店でもそこそこ原稿は書けるのだなと思えますね。すがやさまの日記にも、ときどき喫茶店に行って、バッテリーがなくなるまで原稿を書くという記述があります。わたしはモバイルを持ったのがやっと1年前ですから、これまでそういう体験がなかった。喫茶店やレストランで仕事をするとしても、プロット組みとか、せいぜいゲラの直しぐらい。でも、書く環境を変えることに意味があるとき、喫茶店は使えるぞ。日本では漫画喫茶以外では電源を使えないのではないかと思うので、大容量のバッテリーが必要になりますが。

これで、もっと旅行の多い生活になると、そのときこそ、あらためてAir-Hが必要になるかもしれません。

いまは完全に仕事場にこもりきりの執筆生活ですが、一時期、移動しながら書く、書きながら移動する、という生活に憧れ、多少は試したこともあります。
最初に、自分にその志向があると気づいたのは、89年11月のバルト三国旅行のときでした。このときはエスクワイヤ日本版の仕事で、独立運動燃え盛るバルト三国に取材旅行したのでした。モスクワ経由で、エストニアのタリンに飛行機で入ったあと、移動はもっぱら列車でした。最後の取材地リトアニアのビリニュスを出るときも、モスクワまでの夜行列車。寝台車の中で、その旅行のあいだのメモをまとめ、一部原稿を書き出したとき、自分が不思議な幸福感に満たされたことを感じたものです。このような暮し(ジャーナリストの生活に近いものでしょう)が、自分は好きだぞと。このように、移動しつつ書き、書きながら移動する、という生活が続くなら歓迎する、と心底思ったものでした。

91年の秋、それが一部実現しました。二カ月間、アメリカを自動車旅行することになり、このとき、書きながらの旅、旅しながらの執筆、という生活を試したのです。ポータブルのワープロを持っていったのでした。現実に旅行の途中で、小説すばるに一本、短編小説を送って、現地でゲラ直しまでをやりました。旅行全体の成果は、『サンクスギビング・ママ』です。

あの時期、世の中にモバイルPCがあって、インターネットが使えたなら、あの旅行の様相もかなりちがったものであったことでしょう。

いま11時10分。スターバックスでの日記更新は、ここで切り上げます。
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# by sasakijo | 2004-07-17 02:55 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記5

a0019702_205242.jpg左の写真は、古書店ストランド書店。ユニオン・スクエアの南にあります。

7月15日
59丁目の日本クラブで、シンポジウムと懇親会。参加者は40人ぐらいだったでしょうか。あとでわかりましたが、やはりニューヨークのメディア関係者が多かった。
Y編集長が、日本のエンターテインメントがアメリカの読者に紹介されることの意義について語ったあと、三宅氏の司会で、やや硬めの議論。司会者さんの問題意識は「なぜいまわざわざ第二次大戦を背景にしたエンターティンメントを」ということであり、作者としては、『人間の条件』などを例に出しながら、エンターティンメントに求められるバランスについて語る。
質疑応答があって、わたしはこの作品の作品が、自分のニューヨーク体験を通じて生まれたものであることを、あらためて語らせてもらいました。

懇親会のあと、残った読者さんたちとビレッジへ降りて、ライオンズ・ヘッドへ。いや、そのあとにできた55バーに入ろうとしたのですが、満杯。近くのブルースを聞かせる店。ついで、読者のおひとりが一軒文壇バーを知っていると、ベッドフォード通りのCHUMLEY`Sというお店に連れていってくれました。1920年代、スコットフィッツジェラルドとかスタインベックなどが通って本を読み、原稿を書いた店だとか。いかにもウェストビレッジらしい古い民家風の建物(中庭がある)を使ったお店。壁にぎっしりとゆかりある作家たちの本がディスプレイされている。V社S氏が、『Zero Over Berlin』をマスターに見せて、この本も加えてもらえいないかと交渉。S氏が中身を話したところ、マスターは「親爺もP-38に乗っていたんだ」と快諾してくれました。

このときのメンバーは、わたし、V社S氏、Y編集長のほか、地元で活躍するライター兼翻訳者さんのM氏、元E誌の編集者であったK女史、オペラ・シンガーのF女史。迫力ある一隊でした。


7月16日
お昼、共同通信から取材を受ける。どうしていままで、日本の活字のエンテーティンメントが外国に紹介される例が少なかったのだろうと質問されて、ひとつようやく思い至ったことがあります。これまでの日本の活字文化の紹介は、「日本文化の特殊性」を強調することに主眼がおかれていたのではないかと。日本の活字文化の普遍性をこそ紹介すべきだ、という発想が、これまで関係者にはなかったのではないか、と思ったのですが、どうでしょう、この仮説。

2時、59丁目にできるアジア映画専門の映画館オープニング・レセプション。ここではフジテレビ・ニューヨークの取材を受ける。「英語でインタビューできるかしら」と女性ディレクター。無理です。
その映画館のような文化の架け橋的施設の意義について質問されたのですが、先方はわたしがそこにいることの理由について何か誤解していたようです。答えている最中、あらら違ったわ、って顔をしておりましたね。

そのあとユニオン・スクエアに行き、ニューヨーク最大の古書店ストランドで少し買い物、ついでバーンズ&ノーブル書店本店へ。ニューヨーク滞在20年以上の画家Yさんと落ち合って、ビレッジ方面を少し散策、コーヒー。ピーコック・カフェという喫茶店を探したのだけど、見つかりませんでした。たぶん閉店してしまったのでしょう。
そのあと二番街のほうに移動して、タイ料理のお店へ。

部屋にもどってきたのは午後9時30分。ばたりとベッドに倒れ込みました。時差ぼけが、いまになって出てきたろうか。

バーンズ&ノーブルに入る直前、左足が地面に引っかかって、つんのめりそうになりました。見ると、靴底がぱくりと口を開けている。待てよ、昨日もそう言えばつんのめったことがあった。どうやらわたしは昨日から、口を開けた靴を履き続けていたようです。昨日は視線を浴びるシンポジウムだったのに。
シューリペアの親爺さんから言われました。「サッカーでもやるのか?」 わたしの歩き方は、そんなにひどいのか。
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# by sasakijo | 2004-07-16 20:42 | ニューヨーク日記

日記号外

現地7月15日深夜
どういうわけか、メールがサーバに拒絶されているらしい。知人がメールを送ろうとしたけれど、送信できなかったとか。実際、昨日の朝以来、「新しいメッセージはありません」状態が続いています。通常、毎日かなりの量のスパム・メールが届いているのに、この20時間近く新しいメールが一通もないというのは奇妙です。どういうことだろう。
関係各位、佐々木にメールを送りたい場合は、この書き込みに対するコメントのかたちで、送っていただけませんか。ほかの読者も読みますので、文面にはご注意をねがいますが。

これをアップしたところで、すがやさまからお助けのコメント。サーバが満杯ということのようです。どんと削除してやる必要があるようですが、ただ、このモバイルはふだんメール送受信には使っていない。メール一覧にはほんのわずかの数のメールしか残っていないのですよね。帰ってからメインのPCのほうで同じ操作をするしかないかな。
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# by sasakijo | 2004-07-16 15:25 | ニューヨーク日記

ニューヨーク日記4

a0019702_55015.jpg 7月14日
前夜の就寝は2時近かったのだけれど、昨夜同様3時半に目を覚ましてしまう。すぐに誘眠剤を飲んで寝直し。8時半起床。なんとか6時間の睡眠時間確保。今回は、時差ぼけ管理がうまくいっているほうだな。

昨夜は、北海道ゆかりの会主催のウェルカム・ディナーでした。会場は上富良野出身のマスターが経営する日本食レストラン・つくし。2番街と41丁目の角。お店の前の41丁目の通りは東方面に向かって上りの坂道です。気になって、その坂道を登り切ってみると、通りは行き止まりで、正面左手目の前に国連本部ビルがありました。ここは、いい展望台です。

ウェルカム・ディナーの出席者は20人ほどだったでしょうか。V社S氏は猛烈に『Zero Over Berlin』を売ってくれまして、15冊のお買い上げ。即席サイン会。
出席者のうち、3人が新聞社特派員、編集者が3人、わたしを含めてライターがふたり。かなり業界の偏った集まりだったかもしれません。わたしにとっては、なんとなく文化を共有している、と感じられる集まりでした。
ブライアン・シュワブという青年も招待されていました。この秋から弟子屈の中学校で英語を教えるそうです。弟子屈は中標津の隣町のようなものですから、一度バーベキューにご招待しなければ。この名前、記憶しておくために、この日記にあえてフルネームで書いておきます。

おひらきになったあと、カラオケに行きませんか、という話になり、同行することに。壱番街、という、日本人のあいだでは有名らしいお店に移動。9人参加。そのうち6人が、業界関係者です。わたしはカラオケは歌いませんが、一緒に行ったひとたちとかわるがわる歓談。
カウンターの席で、ナンセンス・ソングを絶唱している人物がおりましたが、ノーベル医学賞の有力候補に数えられている日本人某氏とか。ストレスの多い仕事をしているのだろうと想像できる歌いっぷりでしたね。
1時になったところで、V社S氏と一緒に、退散することに。ほかの面々はまだまだ歌ってゆく雰囲気でしたが、みなさん、タフだ。若いということなのかな。
そういえば壱番館では、煙草オーケーでした。これってニューヨークでは非合法ですね、たしか。

きょう14日の朝は、冒頭に書いたように8時半起床。メールをチェック。やたらにウィルス感染のメールが多い。メール送信できない問題について、すがやさま、冬沢さまからアドバイス。

冷房のせいか、身体が冷えています。足がすっかり冷たくなっていて、へたをすると風邪を引きそうです。バスタブに湯を張って身体を温める。10時、ホテルを出てダウンタウンへ。チャイナタウンで中華のブランチ。

1時、V社のオフィスへ。地元日本語新聞US FrontLineのインタビューを受ける。女性レポーター氏から「ひさしぶりのニューヨークをどう感じるか」と質問されて、思わず答えてしまいました。「知的な刺激にあふれた街です」 もちろんニューヨーカー全部が知的というわけではないし、ニューヨークが知的に突出した都市というわけではありません(いつか「近況」で、フランスに傾倒している哲学者の著作をからかったことがありました)。ただ、馬、犬相手の暮しからやってきた身では、この数日、やりとりした会話のすべてが刺激的で、こんな答になったのでした。

二日間雨でしたが、きょうは晴天。気温が上がっています。V社からホテルに戻って雑用。この日記の更新も。
このあと、夕刻から、日本クラブで、『Zero Over Berlin』発刊記念のシンポジウムと懇親会。司会は日経の米州総局長・三宅誠一さんという方で、「日本発エンターテインメントの可能性」「作家の視点で見る中東・イラク問題」というテーマで語らねばなりません。前者はともかく、後者はわたしにはやや荷が重いテーマです。

写真は、V社のオフィスで、S氏と、できたてほやほやの『Zero Over Berlin』です。
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# by sasakijo | 2004-07-15 05:51 | ニューヨーク日記