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ラフマニノフの二番、で正しかったか

ささくれだった気分を変えるために札幌に出て、札響の定期演奏会を聴く。

指揮は尾高忠明。
曲目は、まず三善晃の『交響三章』。
三善晃は尾高忠明の恩師だそうで、つまりこれは必ずしも顧客オリエンテッドな選曲ではなかったわけだ。

メインのプログラムは、ラフマニノフ交響曲第二番ホ短調。

『ワシントン封印工作』を書き出す前、ラフマニノフが1941年の秋(つまり太平洋戦争開戦の直前)、ワシントンDCで、自作交響曲を指揮しているという事実を知った。ただ、何番を指揮したのかがわからない。その部分の確認に時間を使うわけにもゆかなかったし、二番以外ではありえないだろうと、記録を発見できないまま「二番のコンサート」と書いた。

この作品の刊行時、共同通信のワシントン支局長だった田勢康弘さんと対談した。このとき、田勢さんが言った。
「あのときラフマニノフが何番を指揮したのか、わたしも気になっていたのですが調べきれなかったんです。二番だったんですね」

いいえ、記録を発見できないまま書いたのです、とは答えられなかった。いまなら、何らかの記録か判断が見つかるかもしれない。

ただ、一番は初演以外、ラフマニノフの存命中は演奏されることがなかったと言われているし(没年は1943)、三番はWikipediaでは1931年の作曲(本文中の記述)、1941年の作曲(曲目解説)とあり、後者が事実とすると、ラフマニノフはかなりの冒険をしたことになる。二番でまちがいないと思う。

もしかすると、1941年当時は第一番のことは完全に忘れられていて、その曲目についてはただ『ラフマニノフの交響曲』と記述されてそれで十分だったのかもしれない、といまふと思った。
by sasakijo | 2010-03-20 00:02 | 日記