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佐々木譲の散歩地図

電子書籍が本屋を消すのか?

きょうの宝島社の全5段広告(わたしは朝日新聞朝刊を見た)は、議論を呼ぶことだろう。ヘッドコピー「本屋のない町で私たちは幸せだろうか?」 その下に1行。「宝島社は、電子書籍に反対です」 

この問いかけと、宝島社の宣言の論理的な関係がよくわからない。宝島社は、電子書籍が町の書店を消滅させると主張しているのか?

電子書籍が現実に市場に出てきたのは、Kindle(日本語対応)とiPadが登場した今年だと言ってよいだろう。これ以前の電子書籍は、規模として無視できる。しかし、書店の減少は今年突然起こったのではない。ネットで数字を調べると、こうだ。
1992年 全国書店数22500
2001          20939
2010          14059

電子書籍が存在しないときから、書店は減少していた。とくにこの10年の減少数は多い。本の流通問題を取り上げた佐野真一のルポ『誰が本を殺すのか』刊行は2001年である。書店減少問題はそのころから顕在化していた。つまり電子書籍と書店の減少とのあいだには、まったく因果関係はない。

また日本でインターネット書店が登場したのは、1995年。その年、丸善がネット書店ビジネスに進出し、翌年には紀伊国屋書店がネット書店をオープンさせた。Amazonの日本進出がちょうど10年前の2000年。だからネット書店の成長と書店数の減少とには、強い関係があるだろうとは推定できる。

じっさい北海道の郡部に住んでいたわたしには、ネット書店の品揃えと配達の速さが魅力だった。それまでのように地元の書店に注文してから届くまで2週間から4週間かかっていては、仕事にならない。わたしはネット書店をよく使うようになった。

Amazonが進出してきたとき、書店寄りの(読者、利用者寄りではない)ある文芸評論家が書いた。「本はそんなに急いで読まねばならないか?」 書店に本を注文しても遅い、という読者側の不満を誤りだと主張したのだ。改革努力必要なしと書店を擁護したつもりだったのだろうけれど、結果はどうだったろう。

注文に即時対応できるシステムの構築が遅れたせいで、とくに郡部の書店で客が消えたのではないか。この流通上の問題を「問題」とも認識しなかったひとたちに、この事態の責任はないか。

郡部の書店には大打撃だったろうが、しかしネット書店は本の流通を活性化させたことも確実なはずだ。本の寿命は長くなり、いわゆるロングテール現象が生まれた。レビューが蓄積されてゆくことで、本の評価を知りやすくなった。古書も探しやすく、買いやすくなった。新刊の売り上げと書店数は減少しても、古書を含めた本の流通量、流通額は、ネット書店登場後、むしろ増加しているはずである。

神田神保町の様子を考えてみてもいい。厳松堂の閉店は衝撃的なニュースだけれど、この10年、あの町には新しい古書店のオープンが続いている。書店数が増え、集積度が高まって、本の町として年ごとに魅力は大きなものになっている。本の読者がそれほどに減り、本が「売れていない」としたら、神田神保町のあの活況を説明することはできまい。

またどんな産業のどの業種にも盛衰はある。印刷技術のこの40年を考えてみても、活版から写植、電算写植、DTPへと革新が続いたことで、この間に転業、転職、廃業を余儀なくされた人々は少なくなかったはずだ。なのに出版流通だけが、変わらないでいられるはずもない。

町から書店を失わせるものは、(いま世の中に出てきたばかりの)電子書籍ではない。電子書籍を憎んで背を向けたところで、事態は改善しない。宝島社はいま「本屋のない町で私たちは幸せだろうか」と問うよりも、10年前に「私たちはどんな本屋のある町なら幸せか」と問うべきだったのではないか。

わたしは本が好きだということで人後に落ちないし、いい書店と、いい書店のある町を愛する。しかし同時に電子書籍の可能性にも期待するし、それが広げる表現の世界にも関わってみたいと願っている。本・書店、と電子書籍とは対立するものではない。電子書籍が完全に本にとって代わるとも思わない。

宝島社、ずれてる、と評価されることは心配ではないか。明日の株価(上場していた?)はどうなるだろう。
by sasakijo | 2010-11-17 00:06 | 日記