札幌座『ブレーメンの自由』
シアターzooで、札幌座(TPSあらため)の新作公演『ブレーメンの自由』を見てきた。演出は弦巻楽団の弦巻啓太。
斉藤歩演出ではない札幌座って、どんなものだろうとかなり不安を感じつつ席に着いたのだった。自分に合うと感じる劇団や演出家にひとつ出会うために、これまでどれだけの「はずれとの遭遇」が必要だったか。それを考えたら、この不安にも理解をもらえるだろう。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲の舞台化。弦巻啓太は、この作品を、観客の感情移入を徹底的に拒絶するように演出する。俳優さんたちも、翻訳調の日本語の棒読みと取れる台詞回し。かなり意識的な「でくのぼう」のようなお芝居。それでも緊張に目が離せなくなる。
演出家の意図は、情念抜きに台詞の(言葉の)意味だけを伝えようということなのだろう。おかげで、ゲーシェという19世紀初頭のドイツ人女性の犯罪の様相が、普遍性のある「女性人権活動家の悲劇」として昇華されている。
札幌座のファンにはどうしても先生の役柄イメージの強い(わたしだけの偏見か?)宮田圭子さんが、ある意味のラディカル・フェミニストを出ずっぱりで演じる。その孤高な闘いぶりの恐ろしいまでの美しさ。観客の共感を拒む演技だけれども、ときおり見せる激情に、観客は戦慄する。主人公の絶望の深さを知る。
いやはや、自分の好みとは全然ちがうテイストのお芝居だったけれども、楽しんだ。しばらくひとり、バーでお酒を飲んで、気持ちを鎮めて帰ってきた。
斉藤歩演出ではない札幌座って、どんなものだろうとかなり不安を感じつつ席に着いたのだった。自分に合うと感じる劇団や演出家にひとつ出会うために、これまでどれだけの「はずれとの遭遇」が必要だったか。それを考えたら、この不安にも理解をもらえるだろう。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲の舞台化。弦巻啓太は、この作品を、観客の感情移入を徹底的に拒絶するように演出する。俳優さんたちも、翻訳調の日本語の棒読みと取れる台詞回し。かなり意識的な「でくのぼう」のようなお芝居。それでも緊張に目が離せなくなる。
演出家の意図は、情念抜きに台詞の(言葉の)意味だけを伝えようということなのだろう。おかげで、ゲーシェという19世紀初頭のドイツ人女性の犯罪の様相が、普遍性のある「女性人権活動家の悲劇」として昇華されている。
札幌座のファンにはどうしても先生の役柄イメージの強い(わたしだけの偏見か?)宮田圭子さんが、ある意味のラディカル・フェミニストを出ずっぱりで演じる。その孤高な闘いぶりの恐ろしいまでの美しさ。観客の共感を拒む演技だけれども、ときおり見せる激情に、観客は戦慄する。主人公の絶望の深さを知る。
いやはや、自分の好みとは全然ちがうテイストのお芝居だったけれども、楽しんだ。しばらくひとり、バーでお酒を飲んで、気持ちを鎮めて帰ってきた。
by sasakijo
| 2013-06-30 16:24
| 日記