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『朗読者』を読む

『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、新潮社、新潮クレスト・ブックス)
読後、呆然とする。15歳の少年と36歳の女性との関係の顛末。途中まったく予想がつかなかった展開で、この読後感をどう表現したものやら。予想外の場所まで連れてゆかれて、ひとり置き去りにされたような気分と言えば近いか。

拍子抜けというわけでもない。苦いのともちがう。けっして悪くはないのだけれど、主人公たちに感情移入して、その人生に深く感動したわけでもない。

作者は言葉を惜しんでいないか、という疑問が残ったまま終わってしまった物語、という印象もある。

主人公のひとりハンナはともかく、出てくる人物がどれもかなり意識的に不快な人物に描かれている。主人公の父親も、刑務所長も、ハンナの「罪」を告発したユダヤ人女性も。

いちばんの問題は主人公の不誠実さなのだけれど、これ自体が主題である可能性もある(確信持ってそうだとは言えない)。作者自身はその部分をさほど問題にしてはいないようにも読める。

主人公の認識として、自分の罪はその関係を秘密にしたことだ、という意味の叙述はある。ただ、彼の自罰意識がどことなくナルシズムっぽくも受け取れるのだ。

再読すれば印象は変わるだろうか。

この一人称で回想される物語を、読者がべつの視点を想定して(三人称視点からとか)読み直すことは可能だ。表層のストーリーは、むしろ映画的と言ってもよい。スペクタクルとなっているだろうと想像できるシーンもある。

アウシュビッツやビルケナウを訪問する成長した主人公の場面など、そのトーンも想い浮かぶ。映画は、原作よりも感動的な(登場人物たちに感情移入できる)物語になっているのではないだろうか。

ふと、いま、遠藤周作『私が棄てた女』を思い出した。
by sasakijo | 2009-07-16 16:25 | 本の話題