詳しくはこの市の提唱者、河上進(南陀楼綾繁)さんのブログをご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20101021
わたしも前日13日は札幌に出て、河上進さんとトークショー。本や出版についてあれこれ語ります。
全道各地で地域イベントを企画している方や、担っている方々にも興味深いイベントかと思います。
日経BP誌上で30枚×12回の連載でした。原稿量は360枚。これを倍くらいに加筆の予定です。版元は毎日新聞社。
これでわたしの幕臣三部作が完結することになります。ノンフィクションとしては『幕臣たちと技術立国』(集英社新書)で、榎本武揚、中島三郎助と並べて取り上げていましたが、小説としては江川英龍がまだでした。
演出の高橋征男が、再来年(2012年)、俳優座での新版上演を発表した。
今回の舞台のバージョンアップ版とのこと。少しタイトな作品とする構想のようだ。
わたしは今朝は4時起き。仕事。
公演中にレビューがどんどん書かれるというのは、お芝居が生ものであるがゆえのことだ。
小説家としては、このダイレクトな反応がある表現形式に少し羨望しないでもない。
http://d.hatena.ne.jp/oshikun/
今年8月に函館で公演された、舞台版『五稜郭残党伝』との比較で語ってくれています。
http://redberrystudio.blog.shinobi.jp/
仕事の回路を、窓口一本に絞ったことは大正解だった。
それでもときどき、直接に仕事を持ち込もうという試みがある。わたしはいま固定電話も携帯電話の番号も変えて公開していないし、メールも読まない。なので、「直接のコンタクトの試み」というのは、じつはわたしから強盗に侵入されたに等しい拒否反応を引き起こすことになる。
締め切りを守るため、生活のリズムを維持するために取っている防衛策。窓口を通す以外に、わたしに何かをさせる方法はない。
http://www.10quatre.com/next.html
わたしは、初日13日だけではなく、最終日17日にも舞台あいさつをすることになりました。
15日にも観に行っています。
榎本武揚降伏のシーンはラ・マルセイエーズの合唱に送られる、と案内してきたけれど、曲が背後に流れるという演出に変わっていた。
以下は、レビューの代わりとして。
わたしの『五稜郭三部作』は、いわばストレートな革命劇だった。舞台版『婢伝五稜郭』は、原作の女性たちの役割を大きくし、さらに何人もの女性の視点を付け加えることで、「維新」と「共和国」との大義の対立を相対化している。
このような言い方もできる。榎本軍の男たちが共和国建国の「理念」を体現しているとすると、女たちは、その具体化としての「関係」と「共同性」のありかたを示す。明治新国家の「中央集権」「富国強兵」の構想に対する、強力な「身体性のある異議申し立ての存在」としての女性たちだ。
登場するアイヌとロシア人の混血、マルーシャは『北辰群盗録』の、高松凌雲の病院の看護婦、朝倉志乃、ガルトネルの内妻セツは『婢伝五稜郭』の登場人物だが、会津藩から榎本軍に身を投じた女剣士・中山と、手品師・松旭斎天良、は、舞台版のオリジナル。
さらに女性コロスは、女たちの言葉にもしようのない情念の部分を、歌とダンスとで表現する。顔合わせのときに演出の高橋征男が「この舞台ではコロスもテーマとメッセージを背負う」と話していたが、そのとおりだった。
とまあ、わたしの作品のテーマについ引きつけて語ってしまったけれども、きわめて視覚的にも派手なエンターテイメント作品。中島三郎助父子の戦死の場面(ふたりの息子を女優さんが演じる)ほか、迫力ある殺陣も見ものだ。
勝者が歪めて語ってきた箱館戦争について、敗者が語り直した物語。原作に生命を吹き込まれたような想いで、わたしは通し稽古を凝視していた。