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佐々木譲の散歩地図

札幌に沈没

報知新聞の取材を受けるので札幌へ。多少アルペン・スキーと歩くスキーをする者として、またバンクーバー居住経験者として、バンクーバー・オリンピックについて思うことなど、問われるままに答える。

そのまま札幌沈没。札幌交響楽団の定期演奏会へ。指揮は高関健。
モーツァルト、フルート協奏曲第一番ト長調。フルート、工藤重典。
ショスタコービチ(ヴィチ)、交響曲第八番ハ短調。

恥ずかしながら、わたし、ショスタコービチを生で聴くのは初めて。避けていたわけではなく、なぜかプログラムとタイミングが悪かった。しかし、生で聴いて、はまった。生を追っかけてみたくなった。

情景音楽として聴いてしまったところがあるのだけど、この聴き方はたぶん邪道だろう。でも、たとえば第三楽章には、どうしても疎林のあいだを進む大戦車軍団とか、あとに続く歩兵部隊、そして白兵戦(機銃掃射の音もあるじゃないか)を映像として想い浮かべないわけにはゆかない。この楽章にわたしは勝手に、「反攻」とサブタイトルまでつけて聴いていたのだが。

遠い将来構想の「日本人とロシア」三部作に、少し酸素を吹き込まれたような気がする。

コンサートのあとは、ホールで偶然会った友人と、感想など語りながらワイン。
# by sasakijo | 2010-02-27 00:08 | 日記

中標津の友人たちが

昨夜は地元・中標津での直木賞受賞お祝い会。公的性格の行事としては、これがたぶん最後。

町立総合文化会館「しるべっと」の小ホールが会場だった。コーヒーと赤ワイン、軽食がサービスされる、気取らない形式のパーティ。

オープニングは町内在住のソプラノ歌手・飯田由美子さんによる朗唱(ピアノは小林マキさん)。
歌は、『警官の血』第三部の主題歌『誰も寝てはならぬ』と、『エトロフ発緊急電』の主題歌『アメイジング・グレイス』。この趣向、わたしには似合わぬゴージャス感だった。

集まってくださったみなさんは、これまでのどのお祝い会の出席者さんよりもハイになっているように感じた。その高揚感はわたしにもとうぜん感染。舌もずいぶん滑らかだった気がする。

おなじみの居酒屋を借り切りにして二次会。ここでプレゼントされたものは、なんと、シェフ服ひと揃い(シャツ、帽子、タイ、エプロン)。それに包丁。シャツとエプロンには「Bistro Sasaki」の刺繍が入っている。このセンスに感激(わたしは地元ではいちおう、そこそこ野外料理の腕がある男、と評価されているのだ)。

この服で、夏にはみなさんに料理を振る舞うと約束する。

ちなみにつけ加えれば、わたしのお料理のお師匠さんは、札幌の料理研究家・東海林明子さんである。あまりよい生徒ではなかったが。
# by sasakijo | 2010-02-25 13:12 | 日記

その夜、仲間たちが

少しだけ業界関係者とのつきあいの話題を。

19日は、直木賞の授賞式だった。この公式行事では多くの作家さんたちにあいさつしたが、そのあとの二次会三次会には、ずっと仲間づきあいしてきた同業者たちが参加してくれた。

個人名を全員出させてもらっても、たぶん問題は出ないと思う。
志水辰夫、船戸与一、逢坂剛、北方謙三、藤田宜永、大沢在昌、宮部みゆき、森詠、少し遅れて西木正明。

仲間の勢揃いだ。

ほぼ30年ぐらいのつきあいになる面々だ(宮部さんだけは、少し遅れて仲間づきあいさせてもらうようになったが)。つきあい始めた当時は、みな勢いだけはよかったが、まだ海のものとも山のものともわからなかった(北方謙三は言う。「おれは売れてた」)。

年齢差もかなりある。しかし、仲間うちに序列はない。

この関係の初期のころを想うとき、わたしはミュージカル『レント』もしくはオペラ『ラ・ボエーム』を同時に想い起こす。

あちこちの取材にも答えたが、お互いが遠慮なく、面と向かって相手の仕事ぶりについて批評し合える関係だった。つまり、もっとも恐ろしい読み手たちが、この仲間だった。この仲間の前で恥じねばならないような仕事はすまいと、絶えずみなの顔を意識しながらわたしは書き続けてきた。仲間のうちには、同じ想いだった者もたぶんいたはずだ。

この仲間たちが集まってくれてじつに感激だった反面、今後このメンバーが揃うことはあるのだろうかと、愛おしさに胸が苦しくなるような時間でもあった。

宮部さんがいみじくも言っていた。誰か親しい編集者さんの感慨だという。「遠くまできてしまいましたね」

「おれたちは、バウンティ・ハンターになるぞ」と船戸さんがかつて、冗談めかして宣言したことがある。
あれはいつのことだったろう。たしかにわたしたちは、不遜なバウンティ・ハンターとしても、遠くまできた。

こんな仲間のあいだでこの仕事を続けてこられたこと、それを心から幸福に感じた夜だった。

いま志水さんのHPを読むと、同じ話題について触れていた。
http://www9.plala.or.jp/shimizu-tatsuo/sub5kinkyouhtml.html
# by sasakijo | 2010-02-21 12:38 | 日記

『音楽の聴き方』を読む

『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』(岡田暁生、中公新書、2009年)

巷には、「クラシック音楽は難しくありません」という類のコンセプトの入門書が山とあるが、本書はその逆。音楽とは文化と歴史の産物なのだ、ということ、そして音楽の理解のためにはその背景の歴史と文化を知り、さらにその音楽を構成する語彙と文法とを知ったほうがよいと語る本。好著だ。

本書はだから、音楽的感動の言語化の拒絶、に対する批判でもある。小林秀雄がばっさり切り捨てられているのが痛快だ。著者はおそらく、小林秀雄の音楽鑑賞の能力をまったく認めていない。

本書ラストには、音楽をより深く理解するための「架空の図書館」の文献目録がある。ここには小林秀雄は出てこない(三島由紀夫は出てくる。村上春樹は絶賛されている)。

やや、というか、かなり専門的な論考でもある。素人にはまったく理解不能な部分もある。なので、「おわりに」の部分にある「聴き上手へのマニュアル」がありがたい。本書の主張が、素人向けにきわめて実際的な助言に置き換えられ、整理されている。

著者はあとがきでこう書く。
「だが同時に『音楽を聴いて理解する回路』は、あくまでも未知の巨大な体験に出会うまでの足場、最終的には捨てられるべきものにすぎない」

さらに著者は「おわりに」で、自分の「音楽を聴く場」についての究極の理想の体験を記している。トスカーナのシエナの街で偶然行き合ったアルフレード・クラウスのリサイタルがそれだという。

「思うに最も幸福な瞬間にあっては、音楽それ自体の素晴らしさはもはや意識に上がってこない。音楽はひとつの場の中に消滅する。そんなとき私たちは、音楽それ自体を聴いているのではなく、音楽の中に場の鼓動を聴いているのだ。まさにそういう希有な体験と出会うためにこそ、音楽を聴く意味はある」

共感する。自分のいくつかの体験を想い起こす。
# by sasakijo | 2010-02-15 19:06 | 本の話題

『武揚伝』増刷

長いこと品切れだった『武揚伝』(全4巻、中公文庫)が増刷されます。
なにせ2400枚という大作なので、文庫化のときも誤植をつぶしきれていませんでした。今回あらためて校閲さんを通し、わたし自身も手を入れています。
今月25日の配本です。
# by sasakijo | 2010-02-15 07:48